SAGA佐賀マニア~佐賀のマニアックな情報発掘

佐賀の歴史スポットや気になるお店、街歩きネタを発信しています。

佐賀駅内のショッピング街デイトスに、
昭和52年(1977年)12月から営業していた書店、
積文館が3月21日閉店しました。

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閉店の日の夜7時ごろの様子です。
最後の思い出にと、訪ねてみました。

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入り口に貼ってあった、閉店のあいさつ文です。
42年以上営業していた店舗は、他にあるのでしょうか。

店舗のほとんどが、入れ替わっていると思います。

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通路側の棚には今年のダイアリーが、積んでありました。
ここには、かつては話題の本やベストセラー本が、
並べてあったような?

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店内の本の配置は、数年ごとに変わっていました。

中高生のころ、ここで長時間立ち読みをしていた事を思い出します。

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カラになった棚が入り口付近に置かれていて、
間もなく閉店するという雰囲気を漂わせていました。

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閉店した後には、100円ショップがオープンするとのことです。

いつもそこにあった光景が、なくなるのは寂しいものですね。






岸岳城は、波多氏の本城で約450年ほど存続していたという山城です。
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場所は、国道203号線の相知町から山に向かって進み、
どんどん登っていくと登山口の駐車場があります。
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20台くらいは、停められそうな駐車場です。
この先にも同じくらいの広さの駐車場が、あります。

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岸岳城は、山の尾根に沿って細長い縄張りです。
端から端まで、1キロほどもあるという山城としては、
かなりの規模となっています。

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城の説明です。


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駐車場から少し登ると、森林の中の道に出るのでしばらく歩きます。
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途中には、こんな祠があります。
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ここからが本格的な登りになります。
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この登山道を10分ほど登ります。




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右へ行くと、本丸で左へ行くと、旗竿石です。
まずは、本丸方面へ向かいます。
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尾根には、時折大きな石や石垣の一部らしい加工された石がゴロゴロ転がっています。
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結構起伏もあり、このような鎖の手すりが設置されている個所があります。
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この先に三の堀切が、あるようです。
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三の堀切です。
木製の橋が掛けられています。
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橋の上から下を見ると、かなり深く尾根が削られているのがわかります。
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その先には、
石垣の一部でしょうか、加工されている石がありました。
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結構歩いて三の丸に来ました。
二の堀切まで300mもあります。
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三の丸の様子です。
曲輪なので、平らに整地してあります。
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さらに進んでいきます。
左右が斜めの崖になっていて、ここが尾根だとよくわかります。
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二の堀切まであと100mです。
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二の堀切に着きました。
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一部崩落していますが、堀切の側面が堅固な石垣で固められています。
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少し離れたところから見た二の堀切です。
かなり深くえぐれているのが、確認できます。
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二の堀切から先に進んでいくと、このような楔で割られた痕がはっきり分かる、
石が転がっていました。
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周辺には、同じような石がいくつも転がっています。
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ここにあった石垣が崩されたのかもしれません。
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これは、瓦の破片のようです。
ここに建っていた建物の瓦でしょうか。
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この辺りにも石垣の石らしい四角い石が転がっています。
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二の丸です。
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ここには、伝埋め門という門の跡があります。
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これが埋め門のようです。
石の置き方が、なんとなく入り口のような形状をしています。
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少し進むと、柵が見えてきます。
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井戸跡でした。

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中を覗き込むと、かなり深いのがわかります。
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その先が大手口です。
ここが大手口だという入り口の痕跡は、良くわかりませんでした。
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小皿が落ちていました。
古そうな感じはするのですが、当時の物かどうかは不明です。
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これは、何か器の破片のようです。
この城で使われていた物なのでしょうか。
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結構広い場所に出てきたと思ったら、
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本丸でした。

この先に三左衛門殿丸という曲輪があるようです。
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三左衛門殿丸の曲輪自体は、小さいようですが、
このような石垣で固められています。
現在かなり崩落しています。
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三左衛門殿丸から250m先には、
「姫落し岩」と言う何やら恐ろしい名前の岩があるようです。




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しばらく進むと、大規模な石垣が現れます。
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積み方は、粗いですがかなりの高さの石垣です。
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隅の方は、それなりに整えられています。
こんな山頂にこれだけの石垣が築かれているのが、驚きです。
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さらに尾根を進んでいきます。
かなりの距離を歩いてきましたが、まだ先端には到達しません。
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起伏が多くなり、手すりが現れました。
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姫落し岩まで、あと100mです。
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急に大きな石が現れ始めました。
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尾根が細くなり大きな石がそこら中に転がっています。
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もしかしてこれが姫落し岩かと思ったら、違いました。
しかし意図的に積んである気配が、あります。
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さらに尾根が細くなり、さらに石が増えてきます。
そろそろ先端に近いようです。
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そして姫落し岩が現れました。
崖に向かって突き出しています。
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姫落し岩に上って下を見ると、足がすくむほどの高さです。
100mくらいはあるのではないでしょうか。

姫落し岩の由来は、波多氏が秀吉に改易された時、
家臣団は、自刃して姫を始め女子供達は、この岩から身を投げたという伝説からです。
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しかし岩の上からの眺望は、抜群です。
唐津の海まで見渡せます。
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そのすぐ側には、伝抜け穴があります。
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これが抜け穴です。
埋蔵金が隠されているという伝説もあるようです。
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先端には、こんな石碑が立っていました。

この後、登り口まで戻って旗竿石まで行ってみることにします。
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分岐点まで戻ってきました。
ここから西の端まで往復するだけで、かなりの距離を歩くことになります。
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旗竿石方面は、結構険しい山道となっています。
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5分ほどで、旗竿石に到着しました。
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これが、旗竿石です。
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竿を差す穴が、あいています。
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ここからの眺めも最高です。
見張り台として使われていたのでしょう。

この城郭は本当に大規模で、端から端まで散策すると、
かなりの距離を歩くことになります。

それだけに見所も多く、山城の醍醐味を堪能できるでしょう。




唐津市厳木町にある山城、獅子ヶ城を訪ねました。

石垣がよく残っている事で、知られている山城跡です。


場所は、JR厳木駅のちょっと先を左に曲がってしばらく進むと、
このような案内板が出てきます。


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ここを右に曲がって、どんどん山を登っていくと駐車場があります。

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クルマ20台くらい停められそうな、割と広い駐車場です。

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駐車場の目の前には、
まるでこの城の堅固さを誇示しているかのような断崖絶壁がそびえ立ち、
圧倒されます。


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駐車場の端には、立派な案内板が設置してあります。

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城の歴史や縄張りの詳細が分かります。

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城の歴史です。

紆余曲折を経て、唐津藩の寺沢氏の城となり一国一城令で、
廃城となったようです。






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城内へと続く道を登ります。

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現在、整備された階段となっています。

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階段の石の中には、楔で割られた痕が見られるものがあります。

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しばらく登ると、南三の丸です。

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三の丸の端は、突起状になっていて側面は急斜面です。
これではとても登ってこれそうにありません。

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二の丸へと登って行く途中には、このような石垣が残っています。

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石垣の積み方は、粗めです。
ちなみに石垣は、寺沢氏の代に築かれたそうです。
(1600年初頭ごろ?)

この石垣の上が、二の丸の縁にあたる場所です。

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井戸曲輪の説明板です。
ここに井戸があったからそう呼ばれているのでしょう。

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崩れた石垣の上に仏像がいくつか立てられていました。
年代を見ると、昭和初期の物でした。

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ここを登ると、本丸です。
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端の方は、石垣でがっちりと固められています。
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ここが本丸です。

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本丸の説明板です。
このように、タイル製の立派な説明板がいくつも設置してあります。

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本丸についての説明です。
城の末期には、建物が建っていたようです。

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本丸は、このように城の端の方にあります。





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本丸の一角には、仏像が並んでいます。
お供え物の花が新しいので、地元の人がお参りに来ているのでしょう。

なぜここに仏像があるのかはわかりませんがいつの頃からか、
聖地のような場所になっているのでしょうか。

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本丸からの眺めは、最高です。

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周囲をくまなく見通すことができるのと同時に、
外からこの城の威容を見せつける事が出来ると言うわけです。

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本丸の周囲は、角ばっていて全周を石垣に囲まれています。

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ここは本丸へ入る虎口です。小規模ながらも枡型になっているのが分かります。

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ここに転がっている石は、石垣に使われていたものの一部でしょうか。
廃城になった時に壊された石垣の一部かもしれません。

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本丸の側面の石垣です。

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大きな石ががっちりと組まれています。

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隅は、粗い積み方ながらも算木積みとなっています。

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むき出しの岩盤を石垣の一部として利用している個所もあります。

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ここは、二の丸の端の方です。
このように急斜面になっています。

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柵で囲まれているのは、

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もちろん井戸です。
これが、井戸曲輪の井戸です。

こんな山の頂上付近でも、深い穴を掘れば水が出てくるのですね。

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ここは、尾根を分断している堀切です。
これにより敵が二の丸から本丸へは容易に移動できなくなっています。

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かつては立っていたであろう表示板です。

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二の丸の角にも石垣が残っている個所がみられます。

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ここは、城への入り口である虎口があった場所です。

先ほどの本丸への虎口と比べると、かなり大きな枡型となっています。

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ここにも表示板が、転がっていました。

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この辺りにも石垣がよく残っています。

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とにかく堅固な石垣が至る所に残っている事に驚かされます。

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石垣を見ていると、往時の威容が目に浮かぶようです。

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そして再び駐車場へ戻り、今度は出丸へ行ってみます。

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石がゴロゴロ転がっている中を進んでいきます。

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今年の大雨で倒れたと思われる木々が、道をふさいでいたので、
脇を通ります。

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ここが出丸です。

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出丸の縄張り図です。

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出丸の説明です。

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側面は、恐ろしく急な斜面となっています。

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出丸をよく見ると、説明板にあった礎石がいくつか確認できました。
礎石の数と間隔から、そこそこ大きな建物があった事が窺えます。

現在、木々に遮られて見晴らしは良くありませんが、
木々が無かった当時は、最高の見晴らしだったと思われます。

なるほど見張りに最適なわけです。

この獅子ヶ城、驚くほどの堅固な石垣が残っていて、
数ある山城跡の中でも、最高の物の一つと言ってもいいかも知れません。

城好きの方には、超おすすめの山城です。








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佐賀県には、見応えのある山城がいくつかあります。
その中でも5本の指に入る山城の一つが、

勝尾城(かつのおじょう)です。

中世の山城の全貌が垣間見れるという、全国でも屈指の山城跡として、
国指定史跡となっています。

場所は、鳥栖駅から8キロほどの山間部に位置しています。
佐賀市からだと、鳥栖プレミアムアウトレットの1キロくらい手前から左折して、
山の方に向かって10分くらい走ると、広い駐車場があります。

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ここが駐車場です。
どこかのグラウンドかと思うほど広い駐車場です。

実は、ここから1キロちょっと登った所にも駐車場がありますが、
せっかくなのでここに車を停めて散策がてらに歩く事にします。

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駐車場の側に設置されている説明板。
かなり広いエリアに遺構が残されている事が、わかります。

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勝尾城の周囲にはいくつも支城があり、城下には2.5km×2kmもの規模の、
城下町が広がっていたとあります。

この事からも、筑紫氏の勢力の大きさが窺い知れます。


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説明板にある遺跡の各所の写真を見ていると、
早く現物を見たい気持ちが昂ります。

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駐車場から勝尾城の登山道入り口へと延びる道です。
ここを1キロちょっと歩きます。



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途中にある小さな集落です。

日本の原風景を見る思いで、
何か心の安らぎのような物を感じてしまう、いい風景です。
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こんな某番組にも出てきそうな、ポツンと離れた一軒家がありました。
代々ここで暮して来たのでしょうか。

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登山道入り口にある駐車場に到着しました。
この駐車場も結構広いです。







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左の階段を登ると、登山道入り口です。


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トイレもあります。

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想像よりもキレイでした。


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これでもこの手のトイレにしては、まだマシな方です。

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石段を登ると小さな神社があります。

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このすぐ近くには、筑紫氏の館跡があり、
こんな説明板が設置されています。

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左が勝尾城への登山道です。

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登り始めると角がとがった石がゴロゴロしていて、
歩きにくいです。

この石は石垣の石の残骸なのでしょうか。
とにかく驚くほどの量が転がっています。

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登山道は、思ったより険しくて所々にこんなロープが張ってあります。

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30分くらい登って、大手曲輪までやってきました。

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その周辺には、巨石がゴロゴロ転がっています。
こんな巨石を砕いて、石垣の石にしていたのでしょう。

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この最後の急斜面を登れば、城の主郭(本丸)です。

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主郭へ到着です。
登山道入り口から40分ほどかかりました。

かなり急な場所も多く、低山登山くらいの労力を要します。






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主郭部とその周辺の図です。
これを見ると、かなり大規模な城郭だとわかります。

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山の名は、城山となっています。

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主郭には、このような石垣の跡が至る所に見られます。

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主郭の南端には、物見岩と呼ばれる岩があります。
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ちなみに標高は、498メートルです。

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物見岩から見える景色は、絶景です。
なるほどここに城を構えるわけです。

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晴れていれば、由布岳や雲仙普賢岳も見渡せます。

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この時(12月半ば)の気温は、この温度計によると、
10度くらいですね。

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一通り主郭を見学した後、下山しながら大手曲輪へ向かいます。

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ここが大手曲輪です。
斜面を平坦に切り開いているのがわかります。

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このような説明板があります。

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周囲は、こんな石垣で固められていたようです。
端の方は、急斜面となっていて容易に攻め込めない作りとなっています。

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付近には、一部加工された石が転がっています。

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ここに建っていた建物の瓦の破片でしょうか。

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この石垣の積み方から、戦国時代初期頃に積まれた石垣だと思われます。

入口まで降りたので、筑紫氏館跡を見学します。

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説明板によると、南北100m、東西80mもの規模を誇ったようです。
一般庶民では、とても持てないような高級な陶磁器などが出土していますね。

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こんなに立派な屋敷がここにあったとは、驚きです。
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ここが館跡の虎口(入口)だったようです。

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現在は痕跡らしいものは、ほとんど残っていないように見えます。
屋敷のエリアは、この奥までずっと続くほど広いです。

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付近に転がっている石は、石垣に使われていた石なのかもしれません。

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一部石垣が残っていました。
往時には、小規模の城並に石垣で囲まれていたのでしょう。

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瓦の破片が、あちこちに落ちています。
屋敷に葺かれていた瓦だと思われます。

この屋敷は、島津氏との戦いで焼け落ちて灰燼に帰したそうです。

大変な労力と時間を掛けて建てられたであろう立派な屋敷も、
焼け落ちるのは一瞬・・。

戦国時代の厳しさ残酷さを思わずにはいられません。

駐車場まで戻った後、すぐ近くにある支城である葛籠城跡まで行ってみました。
駐車場から歩いて10分ほどです。

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この辺りが、葛籠城跡です。

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説明板も設置してあります。

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城郭のエリアとしては、300m×150mほどあります。

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ここが主郭です。
ちょっとした公園並の広さがあります。

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主郭の周りには、空堀が掘られています。
これは、現在でもはっきりと確認できます。

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ちょっと離れた所には、武家屋敷跡があります。

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この辺りが武家屋敷跡らしいです。
今は木々が茂っていますが、当時は開けていて屋敷が並んでいたのでしょう。

少し離れた所には、城下町の跡があり発掘調査されているようです。

山城から屋敷跡、武家屋敷跡、城下町跡まで揃って残っているのは、
全国的にも稀らしく城跡としては最高クラスの史跡だと言えます。

ある程度山城の知識を持って、この史跡を巡ると見方がまた違ってくると思います。
超おすすめの山城です。







佐賀県にかつて存在していた城郭で最も大きいのが、
肥前名護屋城です。

豊臣秀吉が、朝鮮出兵の前線基地として築いたお城として知られています。

廃城となって400年以上経ちますが、広大なエリアに多くの石垣が残っていて、
いかに巨大な城郭だったかを彷彿とさせます。

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ここは、大手門へと続く入り口前にある広場です。

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石垣がある辺りが、メインゲートである大手門があったとされる場所です。

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崩れてはいますが、かなりの規模の石垣があったようです。

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石をよく見ると、このような窪みが並んでいるのが分かります。
これは、石を割った時の楔のあとです。

割りたい線に沿って楕円形にくり抜き、そこに2つに分かれた金属をはめ込み、
その間に先のとがった三角形の金属をあてがい、
ハンマーを振り落としてひびを作っていって、最後にパカッと2つに割れるのでしょう。

結構面倒な作業ですが、これを延々と繰り返して、
大きな石から石垣の石を何万個も切り出して行ったかと思うと、
一つの城を立てるのがいかに大変だった事か。

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石の積み方は、戦国末期の城によく見られる石をそのまま積んでいく、
野面積みからやや形を整えて積んでいく、打ち込みハギの中間くらい?
の積み方です。

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城内には、こんな石がゴロゴロ転がっています。

廃城になった時に石垣が破壊されたと言われているので、
あちこちに転がっているのかもしれません。

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城内は広大なので、こんな案内板があちこちに設置してあります。

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木々が生い茂っていますが、この辺りが三の丸があった所です。

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図で見るとこのようになっています。
三の丸だけでもかなりの広さがあります。

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三の丸の説明版です。
今でも発掘調査が行われていて、その調査報告もされています。

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隅の方には、櫓が建っていた石垣があちこちに残っています。

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半分崩落してる石垣が多いですが、
近くで見ると石垣の積み方がよく分かったりして興味深いです。

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ここは、本丸への入り口である本丸大手という場所です。

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説明板によると、門や櫓が建っていたようです。

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この石段を登ると本丸です。





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ここが本丸です。

当時最大級のお城だっただけあって、
並の城とは比べ物にならない広さを誇っています。

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本丸の説明と調査報告の説明板です。。

ここに茶室があり秀吉が、度々茶会を開いていたらしいです。

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本丸には、多門櫓という横に長い櫓があったようです。


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これが多門櫓の説明と発掘調査の報告です。


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人がいる場所が、天守が建っていた場所です。
天守台の広さから、かなり大きな天守が建っていた事が想像できます。

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天守台から下の遊撃丸を見たところです。
ご覧のようにかなりの高さがあります。

向こうの水面は、軍船で埋め尽くされていたのでしょうか。
つい想像をめぐらせてしまいます。

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遊撃丸とは、明の講和使節(遊撃将軍)が滞在したことからそう呼ばれるようです。

明からそんな使節がここに来ていた事とは驚きですが、
一体どんな条件で講和が結ばれたのでしょうか。

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天守台から見た本丸です。

サッカーグランドかと思うほどの広さです。

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名護屋城周辺には、全国から集結した大名の陣屋があります。
これは、ここから見た陣屋の位置を示しています。


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天守台には、小石が敷き詰めてあり間に礎石が並んでいるのが確認できます。

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天守台の端は、このように急になっています。
この面の石垣は崩落しているようです。

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現在石垣の修理が進められていて、このような計画図が設置してありました。

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ここの櫓の石垣は、割とよく残っています。

この部分は、大きさはまちまちですが石の角を揃えた、
切り込みハギに近い積み方となっています。

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柵で囲んであるこの個所は、おそらく井戸ではないかと思われます。

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下から見た天守台です。

石垣の大部分は、崩落しています。

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これも、櫓が建っていた所の石垣です。
ここは、野面積みとなっています。

場所によって石垣の積み方が違うのは、
担当した石工ごとにやり方や技術の差があったと言う事でしょうか。

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ここは、近年の調査で発見された長屋建物跡です。

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説明板によると、長さ約20m、幅約5mの長屋が2棟建っていたと言う事です。

この建物は、築城時の仮設建物の可能性があるようですね。

今で言う現場のプレハブ事務所と休憩所のようなものでしょうか。

何しろ築城時には、全国から数万人が集められて突貫工事が行われたので、
こんな長屋がいくつも建っていたのかもしれません。

しかしこんな大規模な城を、わずか数カ月で築城したとは驚きです。

ここは、天守閣も櫓も残って無い廃城ですが、それだけに想像力を掻き立てられます。
歴史のロマンを感じると共に、儚さと海を隔てた向こう側で行われていた事を思い、
複雑な心境にもなる・・そんな城跡です。

まさに秀吉の”なにわのことも夢のまた夢”と言った心境でしょうか。






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