SAGA佐賀マニア

佐賀に眠ったお宝を発掘します。

久し振りに佐賀城本丸歴史館へ行ってきました。

佐賀空港に春秋航空とTーwayが入って来て、
年々海外からの観光客(主に中国と韓国)が増えてきましたが、

佐賀城本丸歴史館でも、あちこちから韓国語と中国語が飛び交うように、
なっていました。

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まずは、鯱の門をくぐります。

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鯱の門と言えば、佐賀の乱での銃弾痕ですね。

あちこちにあいた穴が、壮絶な銃撃戦を物語っています。


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この生々しい柱に食い込んで潰れた鉛の銃弾を見ていると、
当時の様子を想像して戦慄を覚えます。

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門をくぐると、目の前に24ポンドカノン砲が現れます。


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本丸歴史館は、本当にデカい建物です。

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入り口を守るように展示されているのが、
アームストロング砲です。


入り口で靴を脱ぎ、中に入ります。
中に入ると、スタッフの人が簡単な説明をしてくれます。

入場は、無料です。

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奥の方を見ると、女性が何やら説明をしています。

あんな人は、前回来た時にはいなかったハズ。

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受付の「地平アイこ」さんでした。

ちなみにロボットですw

身振り手振りで、館内の説明をしてくれます。
表情も変化するのがリアルです。

近い将来、AIとロボット技術が進化して、
至る所でこんなロボットを目にするようになるのかも知れません。

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最大300畳敷になるという大広間では、
佐賀の八賢人を演じる役者による、寸劇が行われていました。

佐賀弁なので、

なんとなく”佐賀にわか”を見ているような気になった・・ような?


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お城の構造説明や発掘して得られた遺物が展示されている部屋では、
スタッフによる解説が行われていました。

こんな解説を聞くのも初めてです。

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さらに奥に進んでいきます。

右側には、トイレがあります。

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トイレの中は、こんな感じで非常にキレイです。

13

その先の部屋には、佐賀城の歴史を説明する映像が流れるテレビが、
設置してあります。

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その反対側には、子供に大人気の”バーチャル佐賀城本丸御殿”
が、あります。

これは、3D画像で御殿内を探索できる装置です。

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こんなスティックとボタンで動き回れるので、
子供たちが、嬉々として楽しんでします。




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さらに奥へと進んでいきます。

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一番奥には、御座間・堪忍所が、あります。

御座間とは、殿様がくつろいでいた部屋で、
堪忍所とは、何かヤバい部屋だと思ったら・・・

警護詰所らしいです。

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廊下の左側が御座間で、その奥が堪忍所です。

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ここが堪忍所です。

何の変哲もない畳の部屋ですが、当時は警備に当たっている侍たちが、
待機していたのでしょうか。

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堪忍所から中庭を見たところです。

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こちらは縁側です。


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御座間と堪忍所は、建築当時の柱が再利用されているらしい。

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戻って、各種資料が展示してある部屋へと向かいます。


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兜や書物が展示されていますが、


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一番興味を惹いたのが、1867年のパリ万博から佐賀藩士たちが、
持ち帰ったというサラダオイルのビンやガラス皿、


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万博のカタログです。

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カタログには、このように展示物の解説が載っています。


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このカメラも貴重ですね。

ガラス板に薬品(感光剤)を塗り、乾く前に撮ると言う、
湿板写真用のカメラです。

露出時間が数分はかかったそうなので、撮られる方も大変です。

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これは、オランダ語の教本です。
幕末まで、語学と言えばオランダ語ですね。

佐賀藩では、英語が国際標準語になると分かったらすぐに、
英語教育に切り替えたようです。

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入り口に戻って来ました。
右に写っている女性は、イスラム圏の方のようです。

この日は、かなりの数の外国人が訪問していました。


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こんな感想文ノートが、置いてあったので中を覗いてみると、

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日本語に交じって、中国語や英語や

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ハングルで、書かれた感想文が飛び込んできます。


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一番気になったのが、この感想文です。

確かに幕末期には、日本の最先端を走っていたのは確かだと思いますが、

有能な人物は、みんな佐賀を出て行って、
中央政府で国家のために働いていたから、
佐賀の事を顧みる余裕などなかったのかも知れません。

と言うわけで、

佐賀城本丸歴史館は、やっぱり無料ながらかなり楽しめる施設です。














いつか行こうと思いながら、延び延びになっていた、

伊万里のドライブイン鳥へ行ってきました。

やき鳥で有名なお店です。

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午後6時ごろ到着すると駐車場は、ほぼ満車でした。

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いかに鳥にこだわりがあるかを主張する看板。

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入り口です。

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中に入ると、壁にメニューがベタベタ貼ってあるのが目につきます。

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入り口の待合所には、すでに多くのお客さんが待っています。
これはかなり待つことになりそうと、覚悟して予約します。





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なんとこんなタッチパネルの端末に、名前を打ち込んで順番を待ちます。

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待っている間に、メニューを見ながら何を食べるか決めておきます。
定番のやき鳥定食を食べてみることにします。

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待合室の窓の上には、
こんな風に、有名人の色紙がどっさり貼ってあります。

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30分ほど待って、席に案内されました。
このコンロで、鶏肉を焼くようです。

中の雰囲気は、昭和の食堂を彷彿とさせます。

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さあ、鶏肉が運ばれてきました。
見た目がキレイで、美味そうですw


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そう言えば、ここはアニメ”ユーリ”に出てくることで、
聖地(の一つ)になっているとか。

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次に、とり飯とスープが運ばれてきました。
盛り付けがいかにも昭和です。


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コンロに点火して、いよいよ肉を焼き始めます。

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これが、(たぶん秘伝の)タレです。

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鶏肉が焼ける香ばしい香りが漂ってきて、
食欲がそそられます。

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タレに浸して、食べると・・・

なるほどこれは美味い!

焼きたての質の高い鶏肉と、(秘伝の)タレが織りなすハーモニーw



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さらにどんどん焼きます。

とり飯も鶏のエキスが浸み込んでいて、
素朴で味わい深く、スープはとても品のある味でした。

値段もリーズナブルで、満足感は高かったです。

これなら繁盛していて納得です。





佐賀市中心街より東へ5キロほどの蓮池町に、
あまりにもディープな商店があります。

たまたま蓮池の調査に行って、発見しました。

01

この蓮池の交差点の少し先を左に曲がります。



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するとこんな店名の看板も何もない、元商店のような建物があります。

前の大きな通りは、いままで何回も通っているのに、
ここには全く気が付いていませんでした。

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中をのぞくと、なんと営業している!

恐る恐る中に入ると・・・


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あまりにもディープすぎる店内に感動w

せっかくなので、お店のご主人様に色々と尋ねてみました。

まず、店名は”田中商店”でした。

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このコカ・コーラの看板は一体いつの物なのか?
とにかく時間が止まったかのような空間に感動です。

創業は明治時代だそうで、すでに100年以上存在しているらしい!

店内は、100年の歴史で醸成されたような空気感が漂っています。
この空気感だけは、昭和レトロ系の資料館ではマネできません。

まさに今現在も生きているお店ならではの空気感です。

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奥の方には、相当古い雑貨が眠っているようです。

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駄菓子も売ってます。(数種類10個ほど買いましたw)

近所の子供が買いに来るそうです。


アイスクリームの冷蔵庫がカラだったので、
もう販売していないのかと思ったら、
夏になると、販売しているらしいw


この商店には、過去数回テレビ局などが取材に来たそうです。
まぁこんなディープな商店がまだ営業していたら、
取材に来るでしょうね。

それにしても、このお店が存在しているのは、
奇跡的な事です。

営業している間に訪問出来て本当にラッキーでした。










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かつて一休軒が入っていた建物が、
火事で焼失してしまいました。


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今年1月に撮影した一休軒跡

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火災によりこんな姿になってしまいました。



その時の様子です。

火の勢いが凄いです。



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お好み焼き・たこやきダイセイも、


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こんな姿に・・・

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火災の翌日から、重機が入り後片付けが始まりました。
現在は、更地になっています。

1軒だけ営業していた、定食屋があったので、
そこが火元?なのかも知れません。

老朽化した建物の最後は火事というのは、
よくあるのですが、

こんな最後だと何か無常観を感じます。

また昭和の名残が消えてしまいました。


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カンブリア宮殿で取り上げられるほど、

最近のJR九州では、”ななつ星”や”ゆふいんの森”
”特急かわせみ・やませみ”などの豪華列車を走らせて、
成功を収めていますが、

かつての国鉄末期には、
全国の赤字ローカル線の廃線ラッシュが続きました。


そんな廃線ラッシュの真っただ中に国鉄佐賀線も、

昭和62年(1987年)3月27日に、最後の日を迎えました。


それから今年で31年になります。


南佐賀駅から筑後川昇開橋までは、
サイクリングロードとして整備されていますが、

佐賀駅から南佐賀駅までの区間は、
現在どうなっているのか気になったので、
調べてみました。

01

佐賀駅から続く高架をたどっていくと、
佐賀線と分岐している地点があります。
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線路上へ登るための鉄製の階段がありますが、
現在錆びついて、閉鎖されています。


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高架が二股に分かれているのが、分かりますね。

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高架が切断されている箇所です。

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正面からも確認できます。

まさか切断されて箇所が、まだ残っているとは思いませんでした。



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切断された先は、どうなっているのでしょうか?

江崎しろありの左側の道路が、佐賀線の跡です。

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江崎しろありの少し先に、交差点があります。
この交差点は、高架になっていたようです。

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その先の交差点です。

おそらくここも高架だったのではないでしょうか。

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旧長崎街道との交差点です。

この辺は、土手のようになっていたようです。
長崎街道は、土手の中をくぐるようになっていたのでしょうか?

この先に、最初の駅”東佐賀駅”がありました。

10

ここが、東佐賀駅の跡です。

ここが駅だったことを示す痕跡は、何もありません。

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その跡地から、道路を隔てて向かい側を見たところです。

現在駐車場になっていますが、当時は駅舎があったと思われます。


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駐車場の裏には、なんとなく当時の駅前の雰囲気が残っています。

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この辺の建物は、当時から存在していたものでしょう。

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ここも当時から存在している建物ですね。
何かの店舗だったのかも知れません。

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この辺の並びも商店だったと思われます。

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先に進みます。

ここは、数年前に佐賀線跡が整備されてきれいな道路となりました。

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道路が整備された時に出来た,”新曙橋”の交差点です。
この交差点も、高架だったのか?

18

そして、この南佐賀の交差点は踏切だったようです。

自転車が止まっている横断歩道の先から徐福サイクルロードとなります。


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これは、踏切に設置してあった注意書きです。

かなり痛んでいます。

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南佐賀駅のホームと、現在も残されている引き込み線です。

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ホームも当時のまま残されています。
向かい側は、公園として整備されています。

22

この駅舎も当時の物です。

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運賃表と時刻表です。

瀬高まで、380円ですね。(1987年当時)
今の運賃に換算すると、1.5倍くらいにはなるかもしれません。

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駅舎の中は、公衆トイレに改装されています。

これは、障害者用トイレです。

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こちらは、男子用トイレです。

まずまずの清潔感を保っていました。

南佐賀駅は、この廃線跡で最も保存状態がいい駅です。

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せっかくなので、昇開橋まで行く事にして先に進みます。

ここからずっと桜並木が続き、
桜満開ともなると桜のトンネルと化します。

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右に見える家屋などは、車窓からも同じように見えていたのでしょう。
典型的なローカル線の風景です。

佐賀線には、何回か乗ったことがあるのですが、
車窓の風景などは、ほとんど記憶にありません。

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当時の車窓から見ると、こんな感じですね。

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道路を横断して、”光法みつのり駅”があります。

ホームが、ほぼ当時のままの長さで残っています。
ホームの上には、屋根付きの休憩所が設けられています。


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かつて駅舎があった場所です。
現在は、空き地となっています。

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ここからしばらくは、真っすぐな道が続きます。


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そして”ふるさとちびっこギャラリー”という、
全国の子どもが描いた日本各地の市町村の絵が道に沿って、
展示されています

33

このような絵がはめ込まれているモニュメントが、
次々と現れます。

34

描いた子供の氏名や住んでいる市町村の人口、
特徴などが添えられています。

ちなみに1990年頃に描かれたものなので、
現在は、市町村合併により名称や人口などが変わっている所も
あるかと思います。

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しばらく進むと、登りになります。

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左を見ると、公園が整備されています。

そのちょっと先は、高架橋ですが手前に旧佐賀線の説明板が、
設置されています。

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こんな案内板です。
かなり詳しい情報や貴重な写真が記載されています。

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佐賀線についての説明です。

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現在の佐賀線と筑後川昇開橋の写真です。

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英語と中国語による説明文です。


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そしてこれが非常に貴重な写真です。

走っている車を見ると、昭和40年代半ばくらいだと思われます。
SLが走っている最後の佐賀線の様子でしょう。

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佐賀線の路線図です。

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橋の上から208号線大川方面を見たところです。

44

こちらは、佐賀方面を見たところです。

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橋を渡ると、下りが続き公園が現れます。

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獅子の広場という公園です。

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その先は、道路を横断します。
当時は、踏切になっていたようです。

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そして先ほどの公園が続きます。

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ここに展示されているのは、海外の子供が描いた絵です。

なぜ佐賀線跡に子供が描いた日本全国や世界の都市の絵が展示されているのか?
一体どういうルートで、こんな絵を入手したのでしょうか?

徐福サイクルロードが整備されてのが1991年なので、
これらの絵が展示されてからもすでに27年になろうとしています。

50

この辺りは、しばらく公園化された箇所が続きます。

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一番広い場所がここ、ルックモールです。
かなり劣化しています。

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奥に見えるのは、1990年頃の世界地図です。

この公園は、ルックワールドの日通旅行が、
関係しているのでしょうか。

しかしメンテナンスがされてないようで、
劣化が目立ちます。



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そのすぐ先に、大きな建物が現れます。

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諸富家具振興協同組合の建物です。

55


その建物と連結して、諸富文化体育館ハートフルがあります。


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ドラゴンゲートプロレスの興行で、有名です。

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そしてここは、元諸富駅があった場所です。

駐車場の東端に、ポツンとこんなモニュメントが建てられています。

目立たないので、気が付く人もほとんどいないと思われます。

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廃線時の駅舎の写真。

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諸富駅の説明文です。



1986年に撮影された、諸富駅から昇開橋を渡って、
筑後大川駅までの乗車記録がありました。

車窓の風景や筑後大川駅の様子など貴重な映像です。

映っている子供は、
現在40歳くらいになろうかという年でしょうか。

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諸富駅の先からは、右にカーブして昇開橋へと続きます。
二股に分かれている右側が、佐賀線跡です。

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この道路(国道444号線)を横切ると、昇開橋です。


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昇開橋の前に展示してある、大きな写真と説明文のパネルです。

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この階段を登ると昇開橋ですが、現在通行止めとなっています。

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階段を登ったところに設置してある、諸富駅から移設したと思われる、
駅名板です。

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昇開橋の前は、このようにパネルで閉鎖されています。

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復旧工事の状況説明です。

どうやら熊本地震の時に、ダメージを受けていたようです。

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バランスウェイトをぶら下げていた、ワイヤーロープの
ガイドローラーが、破損しているようです。


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現在部品の交換・修理作業がなされているとのことです。

3月31日に復旧工事は完了する予定のようです。

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近くのモニュメントには、貴重な写真がいくつも展示されています。


これは昭和初期?の昇開橋を渡る列車です。

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昭和62年(1987年)3月27日、佐賀線最終日のさよなら列車と、
国鉄諸富駅の写真です。


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諸富駅?の切り替え機らしき物が、モニュメントとして展示されています。

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佐賀線が開通する以前の馬鉄(馬が引く客車)が走っていた頃の、
(大正時代)諸富駅付近の写真です。

当時は、かなり珍しかったと思われる自動車が写ってますね。
右側に写っている女性2人の服装にも注目です。


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これも貴重な、大正時代の乗車券の写真です。

74

昭和30年代前半の渡し船の様子です。
子どもたちが大勢乗り込んでいますね。

服装から真夏に撮られたものだとわかります。

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これは、トラックが渡し船に乗せられている写真です。

手前のオートバイも順番待ちをしているようです。


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昭和32年に渡し船は、廃止されたようです。

料金ですが、終戦直後で人が5円、自転車が10円、
オート3輪・トラックが100円なっていますが、

本当にかなり割安なのでしょうか?

気になったので、ちょっと調べてみました。

昭和25年の物価です。

白米1升60円    砂糖1キロ310円    卵1個15円    ビール1本130円   
そば・うどん15円    コーヒー30円   

昭和30年だと、

白米1升98円 砂糖1キロ150円 卵1個14円  ビール1本125円
そば・うどん30円    コーヒー50円
 
参照元:http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J077.htm

こんな物価なんですが、本当にかなり割安と感じていたんでしょうか?
結構高いような気がしますけどw

なんか現在の物価と比較しているような気がしますがどうでしょうか。


まぁ橋が開通したら、誰も渡し船には乗らないですね。


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これは、最近新しく展示された写真です。

明治時代の対岸の様子を写したパノラマ写真です。

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左側には、深川精米という精米所があったようです。


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中心は、製缶所、右は造船所となっています。

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こんな本格的なドックがある大きな造船所があったとは、
驚きです。

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これが、徐福サイクルロードの”徐福”像です。

徐福とは、秦の始皇帝が不老不死の薬を探すために派遣した、
使者です。

その徐福が、諸富の辺りに上陸したという伝説があるようです。

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ここに来たのかはともかく、徐福自体は存在していたようです。

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伝説によると、徐福は金立山に登って不老不死の薬草を発見した
ことになっています。

驚くことに、茶屋の娘”お辰”と恋に落ちたらしい。

2200年前の日本と言えば、弥生時代の真っ最中です。
吉野ヶ里で、お辰と出会ったのでしょうかw

お辰なんて、江戸時代の町娘の呼び名だろう!

などというツッコミは、いけません。

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最後に、ここには”橋の駅ドロンパ”という物産販売所が、
あります。

特産のイチゴやメロンや有明海の海産物が販売されています。


昇開橋から先の佐賀線跡の現状も気になるので、
後日調査しようと思います。


■参考サイト

●プラットホームの旅


廃線前の佐賀線の駅の写真が掲載されています。

●国鉄佐賀線の思い出

佐賀線沿線に住んでいた人が記録した佐賀線の思い出。
最終日の佐賀線の様子が記録されている貴重なサイトです。



こちらは諸富から昇開橋を渡ったすぐの駅、
筑後若津駅までの映像です。



これは、筑後大川駅から佐賀方面への上りの車窓です。























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