SAGA佐賀マニア~佐賀のマニアックな情報発掘

佐賀の歴史スポットや気になるお店、街歩きネタを発信しています。

神崎宿から東へ向かったところに、
長崎街道唯一という一里塚が残っているというので、
確認してきました。

ついでに櫛田宮から一里塚まで歩きながら、
街道の様子も見ていきます。
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市街地を離れると、古い家屋がポツポツと残っています。
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景観の整備などは全く行われていないですが、
なんとなく街道の雰囲気が残っています。
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先に進んでいくと、こんなレンガの壁がありました。
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この奥にあった建物は無くなっています。
一体どんな建物があったのか?
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レンガの壁の隣には、こんな古い建物が残っています。
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この辺りも、街道らしい風景です。
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ここは何かの商店だったのだろうか?
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左側は閉店していますが、右側は今もやっている判店でした。

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いかにも昔からここで営業していそうな、菓子店です。
口コミによると、手ごろな価格の和菓子を多品目売っているようです。

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しかし歩いていると、主要な道路の役目を終え、
”取り残された雰囲気”が漂っているのを、
ひしひしと感じてしまいます。

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橋の上には、JRC(日本無線)の
監視装置らしきものが取り付けられています。
おそらく水位を監視していると思われます。

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三本松橋の三本松とは、
このすぐ近くにある一里塚の松?なのでしょうか。
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自動車整備工場かと思ったら、フィットネスジムでした。
最近ジムがあちこちに出来ていますね。
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左側に一里塚が見えてきました。
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ここが「ひのはしら一里塚」です。
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江戸時代初期に徳川家康の命により、
街道の一里毎に設置されたとの事で、
長崎街道に残っているのは、ここだけらしいです。

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高さ4メートルほどの小山で、
周りは石垣なっている堅固な作りです。
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階段で上に上ると、佐賀県遺産の認定証があり、
ここに”ひのはしら”の由来が書いてありました。

それによると、櫛田宮の緋色(赤色)の鳥居が立っていた事から、
”ひのはしら”と呼ばれるようになったとの事です。
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隣の祠から、仏像が見守っています。
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なかなか見晴らしはいいです。

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あらためて塚の周りを見てみます。
まるで城の石垣のようです。

しかしよく見ると、石の積み方に違いがあります。
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これは江戸時代初期の”切り込みハギ”と言う、
石の形を揃えて積み上げる手法のようですが、
この部分は、乱雑に積む”乱積み”で、
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ここはキレイに並べる”布積み”となっています。

なぜ途中で積み方を変えてあるのか?
積んだ担当者(地区)が変わったのか?
それとも何か強度的な問題が生じて変えたのか?

気になります。
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ここにはバス停と、見学者用のクルマ数台分の駐車場もあります。
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ここから先は、田んぼが広がっています。
江戸時代から変わらない光景かもしれません。

ひのはしら一里塚、地味ながら見所のある史跡でした。

佐賀の映画館跡を訪ねるシリーズ「神崎編」で、
場所が特定できなかった映画館、
「曙座」の場所がわかりました。

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先日吉野ケ里歴史公園の発掘現場見学に行ったのですが、
見学を終えて、東のメインゲートの休憩室で休憩していたら、
「長崎街道神崎宿昭和のおもいで街道」と言う、
昭和30年代の神崎宿の地図が貼ってあることに気が付き、
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「曙座」があったと思われる付近をよく見て見ると、
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現在も営業している”モモツナ”という店舗の裏側に、
あけぼの座と言う建物がありました。

ここが”曙座”に間違いないと思われます。

モモツナの隣には釣具屋と駄菓子屋があったようです。

後日場所の確認に行ってきました。
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この郵便局とコスモスの交差点を渡った先です。
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かなりの店舗のシャッターが降りています。
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この閉店している自転車屋の向かい側が、「モモツナ」です。
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女性用衣料品店です。
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隣にあったらしい釣具屋と駄菓子屋は、
影も形もありません。
いつ頃まであったのかも何となく気になります。
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この空き地の奥に曙座があったようです。
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現在そこは、アパートとなっていました。
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曙座がどんな建物だったのかは分かりませんが、
あけぼの座というくらいなので、
劇場のような建物だったのかもしれません。
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やはり佐賀劇場のような建物だったのでしょうか?
しかしあらためて見ると、佐賀劇場、
とんでもなく立派な建物ですね。




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アパートの駐車場には、こんな旧車が停まっていました。

これは初代カローラではないのか!
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当時からのナンバーで、ちゃんと現役で動いているようです。
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しかもなんとトヨグライドという、
当時のオートマ仕様車でした。

一体いつからここにあったのか?

初代カローラは1966年から販売されているので、
その当時からずっとここにあったのでしょうか?

曙座は、1965年頃閉館しているようなので、
このカローラは、それより後からあったという事になります。

しかし初代カローラの頃にはもう神崎の映画館は、
神埼新世界映劇のみとなっていました。

このカローラが生まれた昭和41年は、
本格的なマイカー時代が到来して、
テレビも一般家庭に広く普及した頃で、
同時に多くの映画館が閉館しています。

数年前全盛期だった映画館が、
急速に廃れて行った年と言えるでしょう。

新しいライフスタイルの象徴が、
この初代カローラだったのかもしれません、



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映画館跡を巡りながら街中を散策するシリーズ。
今回は神崎市の映画館跡を訪ねてきました。
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神崎市には、神埼新世界映劇、神崎映画劇場、曙座の3館があったようです。

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神崎市の中心街は、江戸時代長崎街道の宿場町となっていて、
至る所に歴史的な街並みが残されています。
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櫛田神社の駐車場にある案内板には、
街道沿いに残る歴史的建物や施設などが紹介されています。
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櫛田神社の境内です。
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このような立派な社殿が建っています。
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南側にはかなり古そうな門が構えています。
その門の左側を見ると、なにやら街の案内のようなものが、
貼ってあることに気が付きました。
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昔の神崎の街中にあった施設などの写真でしたが・・・
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その中に、なんと神崎映画劇場の写真を見つけました。
昭和25年4月の落成時に撮られた記念写真のようです。

立派な建物の前に20数人が写っているようですが、
映画館のスタッフと町の有力者でしょうか。

戦後5年、これから映画が最大の娯楽となり、
全盛期を迎える前夜にオープンして、

昭和40年代まで営業していたようですが、
後にスーパーなどになったらしいです。

それにしても開館当時の記念写真は、
貴重ではないかと思われます。
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その神崎映画劇場があった場所を確認します。
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ここは旧長崎街道なので、
このような歴史的外観の商店も多数見られます。
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しかしこのようなシャッターが降りた店舗も多いです。
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ここも元何かの店舗のようですが、
閉店して何年も経っている雰囲気です。

神崎映画劇場は、この付近にありました。
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この佐賀信用組合の看板の向かい側だったようです。
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この駐車場の場所に、神崎映画劇場があったそうです。
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多くの映画館が閉館した時期である、
1966年以前に閉館となっているので、
15~6年ほどしか存在していなかった事になります。

昭和30年代半ばに映画全盛期となり、
その直後からテレビが急激に普及しだして、
それこそあっという間に役目を終了したという事でしょうか。

その後の”スーパーなどになりましたが”も気になる所です。
個人スーパーの時代も終わり、
最後は何の店舗だったのでしょうか。

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すぐ側にはこんな川というか水路があります。
下に降りる古い石段があるところから、

この前紹介した長崎街道佐賀宿の荷揚げ場遺構と同じように、
かつては小舟が行き来して荷を運んでいたのでしょうか。

実は、あの石段の辺りにカワセミがいたので、
慌てて写真を撮ろうと思ったら、
あっという間に飛んで行ってしまいました。
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ここにも古い外観の商店がありました。
旧街道の雰囲気は残されているものの、
佐賀宿と同じく今一つの感があるのは否めません。
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珍しい丸ポストです。
かなり色あせていたのでもう使われていないのかと思ったら・・
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集荷時間が書いてあり現役でした。
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もう一館の映画館があった場所へ向かいます。
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途中にあった個人営業の本屋です。
個人営業の本屋もめったに見なくなりました。

ここはどれくらいお客さんが来ているのだろうか?
などとつい考えてしまいます。
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このラーメン屋は、どうやら人気店みたいです。
ただ昭和からやっているような店は、
老夫婦でやっている事が多く、
後継者問題などが悩ましいところです。
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その近くの昭和な衣料品店は、閉店しています。
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その向かい側の同じく昭和なクリーニング屋もだいぶ前に、
閉店しているようです。
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映画館があった通りに出てきました。
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一瞬ここが元映画館なのかと思いましたが、
違うようです。
衣料品店ですが、それにしても昭和の映画館のような外観です。
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この黄色い建物は、たこ焼き屋ですが、
頻繁に車が止まってたこ焼きを買っていくので、
名物たこ焼き屋のようです。
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タミヤの星のマークが目立つ、
プラモや!という分かりやすい屋号の模型店です。

ここもファンが多そうな雰囲気が漂っています。

さっきのラーメン屋もそうですが、
ローカルな場所にあっても、ファンを掴んでいれば、
長く続けていけるという事ですね。
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映画館は、その先の高齢者施設の場所だったようです。
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ここに神埼新世界映劇があったという事ですが、
全く痕跡も残っていません。
1953年2に月開館して1973年以前に閉館しているようです。
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すぐ先には、国道34号線の交差点がありますが、

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その手前にこんな古びた建物が残っていました。
おそらく映画館があった頃から存在している建物ではないかと思います。

店舗はすべて閉店しています。
右側に見える昭和な自転車が、
長い事放置されていて、朽ちてきていました。

今度来た時には撤去されているかもしれません。
神埼新世界映劇の並びにもこんな建物が建っていたのでしょうか。
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国道34号線との交差点です。
この先には神崎駅があります。
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この小さな書店は、シャッターが降りています。
これくらいの小さな個人書店は、ほぼ絶滅していますね。
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その並びの、古い建物もシャッターが降りています。
元小さな個人商店だったようです。
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このような三角形の狭い隙間に建っているのが時代を感じさせます。
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設置されている自販機もそのまま放置されているようですが、
業者が回収しに来ないのでしょうか。
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そして櫛田宮へと戻ってきました。

さらにもう一館の曙座があったと思われる場所へ行ってみます。
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先ほどの南側の鳥居です。
さっきは東へ向かいましたが、
ここから南へ向かった所に曙座があったようです。

曙座は、1940年前後に開館して、
(戦時中の為か)一旦閉館して1954年9月に開館しているようです。
そして例によって、1965年頃閉館となっています。

曙座の場所は、はっきりとはわかりませんが、
この通り沿いだったようです。
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このように歴史的な建物も残っています。
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これは古賀銀行神崎支店の建物です。
佐賀市の柳町には、本店の建物があります。
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かなり立派な建物で、隣には蔵まで建っています。
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そのすぐ先は、最近公園として整備されています。
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このような広い芝生の広場となっています。

もしかしたら曙座は、ここにあったのかもしれません。
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何か痕跡でも残ってないか確認するため、
先の方へ行ってみます。

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このような昭和な店舗が結構残っています。
営業している所とシャッターが降りている所と半々くらいです。
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ここは空き地となっています。
もしかしたらここだったのかもしれません。
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映画館らしき建物は見当たりませんが、
せっかくなので神崎宿の端まで行ってみる事にします。
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ここにも丸ポストがありました。
このポストは、キレイに塗装されています。
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神幸館(かみさちかん)というかなり古そうな建物の脇にポストがあります。
ちなみにここは地域活性化の拠点のようです。
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その先にもこんな空き地がありました。
ここにも店舗が並んでいたと思われます。
もしかしたら映画館もあったのかも知れません。




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どうやら映画館の痕跡は残ってないようですが、
先に進みます。
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ここから先は、道路が石畳風に整備されていて、
街道の雰囲気が漂っています。
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元老舗薬屋だった所には、江戸時代の薬や道具が展示されています。
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ここは名物神崎そうめんの老舗でしょうか。

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この辺りは、シャッターが下りた店舗が目立ちます。
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元自転車屋です。
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ここは白壁の古い家屋ですが、何かの店舗だったようです。
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またまた丸ポストです。
神崎宿内に3か所もありました。
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このお寺は、脇本陣だったようです。
脇本陣は、大名クラスが泊まる場所で、
本陣が空いてない時にここを利用したとの事です。
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逆光で見にくいですが、この通りの端が、
東の入り口となっています。
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その東の入口から西を見たところです。
観光用のお土産屋があります。
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江戸時代には、この様な木の門があったそうです。
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説明板によると、午前6時に門が開いて、
午後10時に閉められていたとの事です。

神崎市の長崎街道沿いは、往時の面影が残っている箇所や、
歴史的街並みが整備されている所もありますが、
観光地としては中途半端な整備に留まっています。

またシャッターの降りた商店も多く見られ、
ローカル商店街の厳しい現状も垣間見られました。

映画館が3館もあった頃の商店街はどんな様子だったのか?
かなりの賑わいだったのでしょうか。




佐賀にも見どころのある山城がいくつもあります。

三瀬城もそんな山城の一つです。

場所は、佐賀と福岡の県境である三瀬峠の入口付近です。
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三瀬トンネルの手前から旧道に入ってすぐのところを、
右に曲がってしばらく走ると駐車場があります。
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ここから歩いて城跡まで登ります。
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駐車場にある案内板です。
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城主の熊代勝利のイメージキャラクター、
”くまかっちゃん”
アーチストの326によるデザインのようです。
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戦国時代の城主は神代勝利で、龍造氏と死闘を繰り返した後、
家臣となっています。

その神代勝利により堅固な城へと大改造されているようです。
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城の構造は、広い主郭に細長い二の郭が繋がっていて、
主郭が巨大な土塁で囲まれているのが特徴となっています。
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主郭の端から二の郭の小口まで約150メートルほどでしょうか。
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登山道には、こんな城跡までの距離の立て札が
数か所に立てられています。
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あと650メートル、この辺からかなりの急こう配になります。
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なかなか険しい登山道です。
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山城を攻めると言っても、甲冑をまとって登るのは、
相当大変だっただろうと思われます。
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あと250メートル、ここからさらに険しくなります。
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二の郭の虎口に着きました。
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主郭まであと80メートルです。
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ここからは、脊振山系の山々を見渡すことができます。
見張り台もあったことでしょう。
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所々にこのような石垣の跡が見られます。
戦国時代後期から江戸時代にかけての石垣とは
全く違う、自然石を積み上げただけの石垣です。
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ここが主郭です。
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確かに周りを囲む土塁は、かなりの高さがあります。
長年の間に崩れているので、築城当時はさらに高かったと思われます。
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土塁の端は、急峻な崖となっていて、
登ってくるのは困難だと思われます。
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主郭の中は、予想以上の広さです。
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一部このような石垣が残っています。
当時の山城としては、石垣を多用しているようです。
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他の山城の土塁は、申しわけ程度に残っている事が多いのに比べて、
この三瀬城の土塁は、2メートルくらいの高さが残っていることに、
驚かされます。
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主郭の土塁は、かなりの部分がこの石垣で補強されていたようです。
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主郭の中心には、こんな石の祠が建てれています。
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よく見ると、明治七年と刻まれているのがわかります。
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三瀬城は、大きな土塁と石垣が残っているので、
山城好きやそうでない人でも、見応えがある城跡だと思います。





 


佐賀の映画館跡を訪ねるシリーズ、

今回は、多久市の多久駅周辺にあった映画館跡を訪ねました。
東多久駅周辺にも3館の映画館が存在していましたが、

多久駅周辺には、
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信和会館
多久古賀山会館
多久東映劇場
多久別府映画劇場
多久昭和館
そして駅から2キロほど離れたところに、
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明佐館

と、6館もあります。
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多久駅から歩いて映画館跡へと向かいます。

多久駅周辺は再開発が進んでいて、
多久駅もこのような立派な駅舎へと変わっていました。
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駅前にはローターリーと広い駐車場が整備され、
駅前周辺は、かつてはどうなっていたか思い出せないほど変貌しています。
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道路が拡張され、駅前にあった商店などは、
ほぼ無くなっています。
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まずは駅の北側にあった映画館跡に向かいます。
多久昭映があった場所です。
多久昭映は、1970年~1971頃まで存在していたようです。
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国道203号の向かい側付近にあったと思われます。
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この空き地になっている場所には、
家屋や店舗が建っていた事は覚えていますが、
いつから空き地になったのかは不明です。

ここに映画館があったのでしょうか。
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ついでに奥の方まで歩いて確認します。
映画館があったような雰囲気ではありません。
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古くからの住宅地で、空き家も目立ちます。
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ここも空き家です。
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さらに進むと、同じ形の家が並んでいます。
もしかしたら旧炭鉱住宅でしょうか。
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次の映画館跡を確認するため、街中へやってきました。


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中心街も古い店舗と新しい店舗が入れ替わりつつあるようです。
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この辺りに多久映画劇場があったようです。
中央の看板が掲げられている建物が元映画館を思わせますが、
どうでしょうか。
映画館は1966年には閉館しています。
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もしかしたらその隣の駐車場になっている場所かも知れません。
この付近はまだなんとなく、当時の面影が残っているようです。
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次に駅前の通りを東に歩いたところにあったらしい、
信和会館跡へ向かいます。
信和会館も、1966年以前に閉館しています。
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クルマが2台停まっているラーメン屋付近だったようですが、
もしかしたら左側の空き地になっている所だったのかもしれません。

さらにその東側にも映画館があったようです。
多久古賀山会館です。

ここは、1969年以前に閉館しています。
本当に1966年前後に閉館している映画館が多いですね。
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しばらく歩くとこんな建物が目に付きます。
飲食店として営業中でした。
この辺りに多久古賀山会館があったようです。
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隣の倉庫のような建物が、
いかにもかつて映画館だった事を思わせます。

ここに間違いないとまでは言い切れませんが、
可能性は結構あると思われます。
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線路の向こう側に見える建物の廃墟は、
かつての炭鉱施設です。
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近くには多久を拠点に活動しているアーチスト、
富永ボンドのショップがあります。
20
富永ボンドのボンドカー?です。
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多久は、富永ボンドを中心にアートで町おこしをしています。
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駅から東の方には、
まだいくつか昔の商店街の店舗が残っているようです。
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次に踏切を渡って、次の映画館跡へ向かいます。
多久東映劇場があった場所です。
多久東映劇場は、1969年以前に閉館しているとの事です。
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この交差点付近にあったのでしょうか。
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この辺りは道路拡張されて、昔の建物はほとんど残っていません。
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本当にこの辺に映画館があったのか?
と思わずにはいられないほど、新しい街へと変わっています。

もはやかつて近くに映画館があった事を知る人も、
ほとんどいないのかもしれません
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次の映画館跡へ向かうため、駅へ戻ります。
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ちょうど唐津線の列車が到着して、数名の乗客が乗り降りしていました。
そこそこ大きな駅ですが、2020年3月から無人化されているとの事です。
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駅に隣接して、”あいぱれっと”という市民交流センターがあります。
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奥にはカフェもあり、市民の憩いの場として活用されています。
次の映画館跡は、駅からちょっと離れているので車で移動します。
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この交差点付近に明佐館という映画館があったようです。
明佐館も、1966年以前に閉館しています。
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この辺りには、江戸時代からの旧家がいくつか残っていて、
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旧街道の面影を残しています。




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交差点付近には、多久市立病院という大きな病院があります。
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交差点の奥に向かって多久聖廟です。
どこが映画館だったのか?
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横断歩道を渡った所の空き地がちょっと気になります。
小さな映画館だったらここにあったとしても不思議ではありません。
35
この付近を歩いてそれらしき建物が無いか探しましたが、
見つけられませんでした。
閉館して50年以上経つので、無くなっているのでしょう。

それにしても多久駅周辺に6館もの映画館が存在していた事が驚きですが、
炭鉱町として栄えていた頃は、相当賑わっていたという事なのでしょう。

それでもほぼ同時期にほとんどの映画館が閉館したのは、
あっと言う間にテレビの時代になってしまって、
瞬く間に映画館には閑古鳥が鳴くようになったのでしょうか。

映画館末期の様子を想像すると、
物悲しい気分になってきます。

黄昏映画館
上野昂志
国書刊行会
2022-06-22

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