SAGA佐賀マニア

佐賀に眠ったお宝を発掘します。

カテゴリ: 佐賀の記憶

今や映画館と言えば、シネコンがほぼすべてとなっていますが、

私が、映画館に通い出した1970年代終わりから80年代には、
佐賀市内に、以下の映画館が営業していました。


有楽、有楽オスカー、東映、松竹、東宝、平和劇場、グランド劇場、朝日館、にっかつ


最盛期には、いったいどれくらいの映画館が営業しているのか気になっていたら、
こんなフリーペーパーを見つけました。


01

佐賀県興行生活衛生同業組合という団体が、発行した物です。

02

ページをめくると、70年代前半から80年代初め頃まで、
映画館でバイトをしていたという、大歯雄司氏による佐賀の映画館の歴史が、
語られています。

この大歯氏は、現在古湯映画祭の実行委員長をされていますが、
バイト時代は、「パス券」という映画を無料で観れる券を持っていたので、
映画を観まくっていたそうですが、ウラヤマシイですね。

おかげで、2浪して入った佐賀大学を7年通って中退されたそうです(笑)




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貴重な写真も載っています。


03



昭和32年東宝と昭和35年の日活の様子ですが、
看板や飾りが大掛かりでスゴイです。


04

昭和35年の東映は、松原川沿いですね。

新道商店街の入り口にあった朝日館も、
最盛期には、これほどの飾り付けがあったとは驚きです。
カラーで見て見たい光景です。

05

これは、松原神社の角にある交番の前にあった映画ポスター看板です。
80年代の初めまでは、このポスター看板は、あったと思います。

06

そして、佐賀市内をはじめ各市町村に映画館があった時代がありました。

最盛期の1960年(昭和35年)には、90館もの映画館が、
佐賀県内にあったようです。

07

東松浦郡に、10館もあります。
意外と少ないのが、鳥栖市の3館です。

08

とにかくどこの町にも映画館があったようです。

そう言えば、以前大和町にあった春日映劇の様子を聞いた事が、
ありますが、畳が敷いてあって,雨の日には農家の人たちが、
畳に寝転がりながら映画を観ていたとか。

今では考えられないですが、
いかにも田舎の映画館というのどかな様子が目に浮かびます。














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カンブリア宮殿で取り上げられるほど、

最近のJR九州では、”ななつ星”や”ゆふいんの森”
”特急かわせみ・やませみ”などの豪華列車を走らせて、
成功を収めていますが、

かつての国鉄末期には、
全国の赤字ローカル線の廃線ラッシュが続きました。


そんな廃線ラッシュの真っただ中に国鉄佐賀線も、

昭和62年(1987年)3月27日に、最後の日を迎えました。


それから今年で31年になります。


南佐賀駅から筑後川昇開橋までは、
サイクリングロードとして整備されていますが、

佐賀駅から南佐賀駅までの区間は、
現在どうなっているのか気になったので、
調べてみました。

01

佐賀駅から続く高架をたどっていくと、
佐賀線と分岐している地点があります。
02

線路上へ登るための鉄製の階段がありますが、
現在錆びついて、閉鎖されています。


03

高架が二股に分かれているのが、分かりますね。

04

高架が切断されている箇所です。

05


正面からも確認できます。

まさか切断されて箇所が、まだ残っているとは思いませんでした。



06

切断された先は、どうなっているのでしょうか?

江崎しろありの左側の道路が、佐賀線の跡です。

07

江崎しろありの少し先に、交差点があります。
この交差点は、高架になっていたようです。

08

その先の交差点です。

おそらくここも高架だったのではないでしょうか。

09

旧長崎街道との交差点です。

この辺は、土手のようになっていたようです。
長崎街道は、土手の中をくぐるようになっていたのでしょうか?

この先に、最初の駅”東佐賀駅”がありました。

10

ここが、東佐賀駅の跡です。

ここが駅だったことを示す痕跡は、何もありません。

11

その跡地から、道路を隔てて向かい側を見たところです。

現在駐車場になっていますが、当時は駅舎があったと思われます。


12

駐車場の裏には、なんとなく当時の駅前の雰囲気が残っています。

13

この辺の建物は、当時から存在していたものでしょう。

14

ここも当時から存在している建物ですね。
何かの店舗だったのかも知れません。

15

この辺の並びも商店だったと思われます。

16

先に進みます。

ここは、数年前に佐賀線跡が整備されてきれいな道路となりました。

17


道路が整備された時に出来た,”新曙橋”の交差点です。
この交差点も、高架だったのか?

18

そして、この南佐賀の交差点は踏切だったようです。

自転車が止まっている横断歩道の先から徐福サイクルロードとなります。


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19

これは、踏切に設置してあった注意書きです。

かなり痛んでいます。

20

南佐賀駅のホームと、現在も残されている引き込み線です。

21

ホームも当時のまま残されています。
向かい側は、公園として整備されています。

22

この駅舎も当時の物です。

23

運賃表と時刻表です。

瀬高まで、380円ですね。(1987年当時)
今の運賃に換算すると、1.5倍くらいにはなるかもしれません。

24

駅舎の中は、公衆トイレに改装されています。

これは、障害者用トイレです。

25

こちらは、男子用トイレです。

まずまずの清潔感を保っていました。

南佐賀駅は、この廃線跡で最も保存状態がいい駅です。

26

せっかくなので、昇開橋まで行く事にして先に進みます。

ここからずっと桜並木が続き、
桜満開ともなると桜のトンネルと化します。

27

右に見える家屋などは、車窓からも同じように見えていたのでしょう。
典型的なローカル線の風景です。

佐賀線には、何回か乗ったことがあるのですが、
車窓の風景などは、ほとんど記憶にありません。

28

当時の車窓から見ると、こんな感じですね。

29

道路を横断して、”光法みつのり駅”があります。

ホームが、ほぼ当時のままの長さで残っています。
ホームの上には、屋根付きの休憩所が設けられています。


30

かつて駅舎があった場所です。
現在は、空き地となっています。

31

ここからしばらくは、真っすぐな道が続きます。


32

そして”ふるさとちびっこギャラリー”という、
全国の子どもが描いた日本各地の市町村の絵が道に沿って、
展示されています

33

このような絵がはめ込まれているモニュメントが、
次々と現れます。

34

描いた子供の氏名や住んでいる市町村の人口、
特徴などが添えられています。

ちなみに1990年頃に描かれたものなので、
現在は、市町村合併により名称や人口などが変わっている所も
あるかと思います。

35

しばらく進むと、登りになります。

36

左を見ると、公園が整備されています。

そのちょっと先は、高架橋ですが手前に旧佐賀線の説明板が、
設置されています。

37


こんな案内板です。
かなり詳しい情報や貴重な写真が記載されています。

38

佐賀線についての説明です。

39

現在の佐賀線と筑後川昇開橋の写真です。

40

英語と中国語による説明文です。


41

そしてこれが非常に貴重な写真です。

走っている車を見ると、昭和40年代半ばくらいだと思われます。
SLが走っている最後の佐賀線の様子でしょう。

42

佐賀線の路線図です。

43

橋の上から208号線大川方面を見たところです。

44

こちらは、佐賀方面を見たところです。

45

橋を渡ると、下りが続き公園が現れます。

47

獅子の広場という公園です。

46


その先は、道路を横断します。
当時は、踏切になっていたようです。

48

そして先ほどの公園が続きます。

49


ここに展示されているのは、海外の子供が描いた絵です。

なぜ佐賀線跡に子供が描いた日本全国や世界の都市の絵が展示されているのか?
一体どういうルートで、こんな絵を入手したのでしょうか?

徐福サイクルロードが整備されてのが1991年なので、
これらの絵が展示されてからもすでに27年になろうとしています。

50

この辺りは、しばらく公園化された箇所が続きます。

51

一番広い場所がここ、ルックモールです。
かなり劣化しています。

52

奥に見えるのは、1990年頃の世界地図です。

この公園は、ルックワールドの日通旅行が、
関係しているのでしょうか。

しかしメンテナンスがされてないようで、
劣化が目立ちます。



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53

そのすぐ先に、大きな建物が現れます。

54

諸富家具振興協同組合の建物です。

55


その建物と連結して、諸富文化体育館ハートフルがあります。


56

ドラゴンゲートプロレスの興行で、有名です。

57


そしてここは、元諸富駅があった場所です。

駐車場の東端に、ポツンとこんなモニュメントが建てられています。

目立たないので、気が付く人もほとんどいないと思われます。

58

廃線時の駅舎の写真。

59

諸富駅の説明文です。



1986年に撮影された、諸富駅から昇開橋を渡って、
筑後大川駅までの乗車記録がありました。

車窓の風景や筑後大川駅の様子など貴重な映像です。

映っている子供は、
現在40歳くらいになろうかという年でしょうか。

60

諸富駅の先からは、右にカーブして昇開橋へと続きます。
二股に分かれている右側が、佐賀線跡です。

61

この道路(国道444号線)を横切ると、昇開橋です。


62

昇開橋の前に展示してある、大きな写真と説明文のパネルです。

63

この階段を登ると昇開橋ですが、現在通行止めとなっています。

64

階段を登ったところに設置してある、諸富駅から移設したと思われる、
駅名板です。

65

昇開橋の前は、このようにパネルで閉鎖されています。

68

復旧工事の状況説明です。

どうやら熊本地震の時に、ダメージを受けていたようです。

69


バランスウェイトをぶら下げていた、ワイヤーロープの
ガイドローラーが、破損しているようです。


70

現在部品の交換・修理作業がなされているとのことです。

3月31日に復旧工事は完了する予定のようです。

66

近くのモニュメントには、貴重な写真がいくつも展示されています。


これは昭和初期?の昇開橋を渡る列車です。

67


昭和62年(1987年)3月27日、佐賀線最終日のさよなら列車と、
国鉄諸富駅の写真です。


71


諸富駅?の切り替え機らしき物が、モニュメントとして展示されています。

72

佐賀線が開通する以前の馬鉄(馬が引く客車)が走っていた頃の、
(大正時代)諸富駅付近の写真です。

当時は、かなり珍しかったと思われる自動車が写ってますね。
右側に写っている女性2人の服装にも注目です。


73

これも貴重な、大正時代の乗車券の写真です。

74

昭和30年代前半の渡し船の様子です。
子どもたちが大勢乗り込んでいますね。

服装から真夏に撮られたものだとわかります。

75

これは、トラックが渡し船に乗せられている写真です。

手前のオートバイも順番待ちをしているようです。


76

昭和32年に渡し船は、廃止されたようです。

料金ですが、終戦直後で人が5円、自転車が10円、
オート3輪・トラックが100円なっていますが、

本当にかなり割安なのでしょうか?

気になったので、ちょっと調べてみました。

昭和25年の物価です。

白米1升60円    砂糖1キロ310円    卵1個15円    ビール1本130円   
そば・うどん15円    コーヒー30円   

昭和30年だと、

白米1升98円 砂糖1キロ150円 卵1個14円  ビール1本125円
そば・うどん30円    コーヒー50円
 
参照元:http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J077.htm

こんな物価なんですが、本当にかなり割安と感じていたんでしょうか?
結構高いような気がしますけどw

なんか現在の物価と比較しているような気がしますがどうでしょうか。


まぁ橋が開通したら、誰も渡し船には乗らないですね。


78

これは、最近新しく展示された写真です。

明治時代の対岸の様子を写したパノラマ写真です。

79

左側には、深川精米という精米所があったようです。


80

中心は、製缶所、右は造船所となっています。

81

こんな本格的なドックがある大きな造船所があったとは、
驚きです。

82

これが、徐福サイクルロードの”徐福”像です。

徐福とは、秦の始皇帝が不老不死の薬を探すために派遣した、
使者です。

その徐福が、諸富の辺りに上陸したという伝説があるようです。

83

ここに来たのかはともかく、徐福自体は存在していたようです。

84

伝説によると、徐福は金立山に登って不老不死の薬草を発見した
ことになっています。

驚くことに、茶屋の娘”お辰”と恋に落ちたらしい。

2200年前の日本と言えば、弥生時代の真っ最中です。
吉野ヶ里で、お辰と出会ったのでしょうかw

お辰なんて、江戸時代の町娘の呼び名だろう!

などというツッコミは、いけません。

85

最後に、ここには”橋の駅ドロンパ”という物産販売所が、
あります。

特産のイチゴやメロンや有明海の海産物が販売されています。


昇開橋から先の佐賀線跡の現状も気になるので、
後日調査しようと思います。


■参考サイト

●プラットホームの旅


廃線前の佐賀線の駅の写真が掲載されています。

●国鉄佐賀線の思い出

佐賀線沿線に住んでいた人が記録した佐賀線の思い出。
最終日の佐賀線の様子が記録されている貴重なサイトです。



こちらは諸富から昇開橋を渡ったすぐの駅、
筑後若津駅までの映像です。



これは、筑後大川駅から佐賀方面への上りの車窓です。























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セントラル会館に置いてあった、
公開映画の案内チラシと映画の半券が出てきましたので、
記録として紹介します。

01

1999年から2003年発行の6枚です。

なんとなく記念になるだろうという収集癖から取っておいた物です。

02

映画の日、レディースデイ、シルバー料金などのサービスが、
ありました。

さらに300円の割引券も付いています。

03a


1999年の9月10月に公開されていた映画です。

この時期は、スターウォーズエピソード1、マトリックス、
シックスセンスが、大ヒットしていました。

まだ佐賀東宝、スカラ座1・2、有楽劇場、
セントラル1・2・3、セントラルシネマと、

8館もありますね。



04

中のページは、このように映画の紹介となっています。





05

これは、招待券です。

当時スタンプラリーをやっていて、たしか10回観たらこの招待券を、
もらえました。

06

懐かしの入場券の半券です。

スタンプをポンと押してもらう時、
これから入場する受付をしてもらったという、
実感を得られたものです。

シネコンは自販機なので、
窓口でこんな入場券を買う事もなくなりました。

09

男たちの大和(2005年)の前売り券です。
セントラル会館の窓口で買いました。


07

これは、セントラル会館が出来る前の時代の割引券です。


夏休み前に中学校の校門前に映画館のスタッフ(バイト?)が、
こんな割引券を配りに来ていました。

08


グランド劇場で公開されたようです。

これは観に行ったかどうか忘れましたw

当時は、今のように入れ替え制では無かったので、
面白かったら連続で2回観る事もよくありました。

2本立て、3本立ても普通だったから、
午前中に映画館に入ったら出てくるのが夕方になっている事も、
普通でしたね。

1本だけ観るのはもったいないので、2本立てになってからしか
観にいかなかったような・・・。


こんなチラシとか映画の半券も取っておくと、
歴史の記録として価値が出てくる?ものですね。








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2006年に閉館してしまった映画館ビル、
セントラル会館と、

3年前に取り壊された、
朝日館の写真が出てきましたので、
記録として紹介します。


2001セントラル会館01

2001年のセントラル会館です。
こんな風にいつも自転車がびっしりと停まっていました。

2001セントラル会館02

1Fが、佐賀東宝
2Fが、事務所
3Fが、スカラ座2
5Fが、スカラ座1
7Fが、有楽劇場

となっています。


2006年にモラージュにシネコンがオープンすると、
観客が激減して、同年閉館となってしまいました。

最後の上映は、「佐賀のがばいばあちゃん」でした。
閉館の直前に観に行ったのを思い出しました。

朝日館04
解体される直前の朝日館です。

朝日館は、佐賀市内の映画館の中で最も古くからある映画館の一つだったそうです。

昭和40年代から長い事成人映画を上映していましたが、
たしか昭和50年代後半にシネマ朝日と名称を変えて、
一般向け映画を上映していました。


そう言えば1984年に「超時空要塞マクロス・愛・おぼえていますか」
「風の谷のナウシカ」を観に行ったことを思い出しました。


そして1995年閉館しました。


最後の上映は、「コピーキャット」というシガニーウィーバー主演のサスペンス映画でした。
閉館されるという事で、最終日の数日前に観に行ったので覚えています。

朝日館03

ヨレヨレになったカーテンと、
外れて今にも落ちそうになっている蛍光灯が痛々しいチケット売り場。

昭和の映画館の終焉を見るようで、物悲しい気分になります。

しかしこの光景でさえ、今はもう見ることが出来ません。

朝日館01

朝日館ビルで長年営業していた喫茶店エルムもこの時すでに閉店していました。

朝日館02

ビルの1Fには、飲み屋が数軒ありましたが、
この写真を撮った時には、かろうじて1軒は営業していたようでした。

閉館から20年経った頃の朝日館は、
老朽化が進み取り壊されるのも時間の問題かと思っていたら、
やっぱり取り壊されました。

直前に写真を撮っておいたので記録を残せてよかったです。










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アジアのハリウッド構想企画倒れに続く、
映画関連の残念な企画倒れ第二弾です。


伊万里があの黒澤映画の聖地になったかもしれなかったのが、
ダメになってしまったというもので、


今思い出しても残念過ぎて気が滅入ってくるほどですw



その黒澤映画と伊万里との関係ですが、


1999年から2000年代初めにかけて、
伊万里で黒澤明監督の映画を上映する、


伊万里黒澤映画祭


が開催されていました。

05

黒澤映画祭のパンフレット。

06

パンフレットでは、上映映画とゲストが紹介されていました。


なぜ黒澤監督と縁もゆかりもないと思われる、
伊万里で黒澤映画祭が開催されていたのか?


それはまず、黒澤明監督が映画”乱”のロケハンで、
この地を訪れた時、伊万里湾の夕日の美しさや、
自然の豊かさを非常に気に入られ、


映画の記念館を作るなら伊万里の地がいいという生前の希望を尊重して、
伊万里に黒澤記念館の建設が決定されたという経緯があります。


しかもそのアナウンスが、黒澤監督が亡くなられた当日である、
1998年9月6日に行われたので、驚いたものです。


今年はその黒澤明監督没後20年という事で、
黒澤映画がクローズアップされる年になるのではないでしょうか。


さっそく黒澤明映画DVDコレクションが発売開始されています。



この映画祭は、その黒澤記念館建設決定で巻き起こった、
伊万里の黒澤フィーバーともいえるムーブメントの一環として、
開催されてきたものです。

01

市民センターが、映画祭の会場でした。


04

会場の外では、フリーマーケットも開催されていました。


そして映画祭は、10回ほど続きました。


私も2回映画祭に行きましたが、黒澤映画の面白さもさることながら、


長年スクリプターをされていた野上照代さんや
黒澤映画出演者の加藤武さん田中邦衛さんらによる、

撮影裏話が非常に楽しめました。

03

トークショーの様子

ちなみに、悪い奴ほどよく眠る・隠し砦の三悪人・天国と地獄・蜘蛛の巣城など
黒澤映画全盛期の作品を鑑賞しましたが、どれも完成度が高くて素晴らしく、

まさに映画を満喫したという満足感を得られたものです。

07

映画祭のチケット


隠し砦の三悪人を観た時には、
近くに黒澤映画を初めて見るような20代前半と思われるカップルがいたのですが、


観終わった後、思わず彼らから”おもしろかった~”という言葉が出たのが、
印象的でした。


CGもSFXも使わなくとも、
あれほど迫力あるダイナミックなアクションシーンが撮れるのかと、
黒澤監督の力量に圧倒された思いです。


そんな黒澤映画祭と同時に、伊万里のアーケード内に、


「黒澤記念館サテライトスタジオ」


が、オープンしました。


これは、正式な記念館が建設されるまでの暫定的な資料館という事でしたが、
雰囲気も良く、


黒澤映画で使われた衣装や台本や小道具や黒澤監督愛用の貴重な品々が、
展示されていて、かなり見ごたえのある資料館でした。

08

サテライトスタジオのパンフレット

09

絵コンテや台本やトロフィーが展示されていました。


ここまで盛り上がっていたので、
黒澤記念館の建設が待ち遠しくて仕方なかったのですが、


何年たっても一向に建設が始まりません。
まだかまだかと待っていても始まりません。
(建設される土地の購入と造成は終わっていたらしい)


そしてついに2010年に建設中止が決まってしまいました。

11

伊万里市の紹介パンフもクロサワ色を前面に打ち出していました。



まさか建設中止になるとは夢にも思わなかったので、
これには本当にガッカリしました。


どうも思ったほど資金が集まらなかったようですが、
なんと黒澤記念館財団が、寄付金のほとんどを使い込んでいたことが、
発覚するという前代未聞の不祥事が起きていた事が中止の理由でした。



もう思い出すのも嫌になるくらいのやり切れなさを感じたものです。


そしてあの世界のクロサワの記念館が伊万里に建設される機会は、
永遠に無くなりました。


13

黒澤明記念館は、イマリンビーチの側に建設予定でした。


しかもサテライトスタジオも2011年3月6日に閉館してしまいました。
本当にモッタイナイ話です。


今でも、なんとかならなかったのかとの思いで、
憤りを感じます。


佐賀県や伊万里市にとっても、
取り返しのつかない大きすぎる損失ではないでしょうか。


黒澤監督もあの世で嘆いている事でしょう。


アジアのハリウッド構想が企画倒れに終わった話はこちら








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