SAGA佐賀マニア~佐賀のマニアックな情報発掘

佐賀の歴史スポットや気になるお店、街歩きネタを発信しています。

カテゴリ: 佐賀の記憶


佐賀市中心部の昭和30年代後半~40年ごろの写真のつづきです。



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昭和39年千代町

前年出来た、アーケードの入り口です。

おばちゃん2人の佐賀弁の会話が聞こえてきそうです。


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同じく昭和39年の旧長崎街道入口です。

大丸進物店の前のガソリンスタンドは、数年前まで存在していました。

停まっている車が、時代を感じさせます。

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昭和40年の松原神社前の様子です。


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昭和40年松原神社角の交番の側の映画ポスター看板です。

東宝・日活・東映・松竹・大映・新若草・大洋・朝日・平劇・有楽・昭和・駅前・グランド・若草

これだけの映画館があります。

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昭和41年千代町

向こう側から車を避けながら向かってくるのは、
マツダオート3輪でしょうか。


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昭和41年市民会館落成祝い

写っているのは、松原神社前のパチンコ屋のようです。
女性が踊りを踊っているのでしょうか。

右側のコカコーラの看板の”日本一食堂”が気になります。






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昭和41年、佐賀城の北側の風景ですね。

昔ながらの瓦屋根の家屋しかありません。

右上には、市村記念体育館が写っています。



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昭和39年3月の牛島橋です。

交通量は、まださほど多くは無かったのでしょうか。


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昭和39年の佐賀中央郵便局と商工会館前の様子です。

郵便局は、今とほとんど変わらないように見えます。

商工会館前には、大きな”サロンパス”の看板があったんですね。

現在、商工会館跡にNHKの佐賀放送局が建てられつつあります。

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貫通道路、佐嘉神社前付近の交通の様子です。


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移転する前の佐賀市庁舎です。


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東京オリンピック聖火リレーです。

「史上最大の人出」らしいですが、

先日のディズニーパレードとどちらが多かったのでしょうか。


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材木橋付近とその東側の佐賀線のガード手前の様子です。


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旧長崎街道の八戸付近でしょうか。

それにしてもこの頃は、まだ江戸時代の雰囲気がこれほど残っていたとは、
オドロキです。

今こんな景観があれば、世界遺産登録されていた・・・

と言うのは言い過ぎかもしれませんが、歴史的町並みとして有名になっていたかもしれません。


写っている3輪の小型車は、マツダK360だと思われます。
古い街並みに溶け込んでいるようでいいですね。

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佐賀城の南のお堀には、かつて貸しボートがありました。
(1996年頃まで)

子供の頃何回か、乗った思い出があります。

しかし昭和30年代には、ボートレースが行われていたとは知りませんでした。


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松原神社の新馬場通りです。

雰囲気は、今もあまり変わらないようですが、
大きな鳥居と灯篭があります。

道路は、まだ未舗装のようです。

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アーケードが出来た翌年の呉服町付近の様子です。


左が錦通りの突き当たりで、南里があった所でしょうか。
右は、アーケード入口です。

本屋らしい看板が見えますが、もしかして大坪書店でしょうか。

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昭和39年の片田江の交差点です。

懐かしのストライプ柄の市営バスやマツダオート三輪が写ってます。
バイクの運転手がヘルメットをしていないのも、時代を感じさせます。

この後昭和46年に歩道橋が架けられ平成11年まで存在していました。





佐賀市内の昭和30年から40年にかけての写真です。

01

昭和30年の夏。

多くの人が水遊びをしています。
官人橋は、昭和28年に掛けられたばかりです。

龍登園は、まだなかったので写っていませんね。(昭和36年に開業)

02

昭和30年の蓮池です。

女性が写っている店舗は、貸本屋のようです。
この頃は、貸本屋全盛期でしょうか。


03

昭和30年の唐人町の様子です。

今とは全く違った雰囲気です。
車もあまり走っていなかったようです。



04

昭和30年の旧長崎街道思案橋の辺りです。

まだ江戸時代の街道の雰囲気がかなり残っています。

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昭和30年の家電展示会。

場所はどこなのか?不明です。

まだテレビは、高嶺の花でしょう。

一番の目玉商品だったハズです。







06

昭和31年の協和館。

現在の佐賀中央郵便局の場所にあったそうです。

かなり傷んでいるようにも見えますが、
この翌年、解体されて平成15年まで佐賀城の天守台に移築されていました。


07

昭和33年旭橋の開通式。

材木橋から北へ入った交差点にある橋です。
この当時は佐賀劇場もありました。


08

昭和39年の佐賀市中心商店街と言う事ですが、
はっきりした場所は、不明です。

人通りも多く、賑わいを感じます。


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昭和39年呉服町です。

アーケードが出来た翌年ですね。

移転前の玉屋と南里が写っています。


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昭和39年白山郵便局跡となっていますが、
どの辺りなのでしょうか。

現在の白山郵便局は、白山アーケードの入り口にあります。


その2へつづく





2月28日で閉店してしまった上峰のイオンへ、閉店直前に行ってきました。

01

駐車場には、そこそこ車が停まっていました。

02

入口には、閉店を知らせる大きな看板が設置してあります。

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入口近くには、こんな思い出のコーナーが設置されていて、


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多くのメッセージカードが、貼り付けられていました。


04




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05

感謝と寂しさの気持ちが込められたメッセージを読んでいると、
こちらも込み上げるものがあります。

06

これは21年前の空撮です。
まだ周りには、現在のように周りに店舗はありません。


07

店内は、テナントが撤退して空いたスペースが多く、
このように休憩所となっている所が数か所ありました。


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2階の売り場は、在庫処分中です。


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3階に上がると、ほとんどお客さんの姿は見当たりません。


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クレーンゲームのコーナーにも誰もいませんでした。


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ここにも閉店を知らせる大きな看板がありました。


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3階は、お客さんがほとんどいなくてさびしい限りでした。


上峰サティがオープンした1995年には、
まだ近隣に大きなショッピングモールなど無かったのに、

佐賀市や久留米市や鳥栖市と次々に大型商業施設が出来て、
客が奪われることになってしまう事になろうとは、
オープン当時の賑わいからは、想像できませんでした。


さらにここにシネコンが出来て、佐賀市内の映画館が閉館に追い込まれ、
その後オープンした佐賀市内のシネコンに客を奪われ、
サティのシネコンが閉店になってしまった事を思うと、

資本主義の厳しさ残酷さを感じずにはいられませんでした。




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今や映画館と言えば、シネコンがほぼすべてとなっていますが、

私が、映画館に通い出した1970年代終わりから80年代には、
佐賀市内に、以下の映画館が営業していました。


有楽、有楽オスカー、東映、松竹、東宝、平和劇場、グランド劇場、朝日館、にっかつ


最盛期には、いったいどれくらいの映画館が営業しているのか気になっていたら、
こんなフリーペーパーを見つけました。


01

佐賀県興行生活衛生同業組合という団体が、発行した物です。

02

ページをめくると、70年代前半から80年代初め頃まで、
映画館でバイトをしていたという、大歯雄司氏による佐賀の映画館の歴史が、
語られています。

この大歯氏は、現在古湯映画祭の実行委員長をされていますが、
バイト時代は、「パス券」という映画を無料で観れる券を持っていたので、
映画を観まくっていたそうですが、ウラヤマシイですね。

おかげで、2浪して入った佐賀大学を7年通って中退されたそうです(笑)




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貴重な写真も載っています。


03



昭和32年東宝と昭和35年の日活の様子ですが、
看板や飾りが大掛かりでスゴイです。


04

昭和35年の東映は、松原川沿いですね。

新道商店街の入り口にあった朝日館も、
最盛期には、これほどの飾り付けがあったとは驚きです。
カラーで見て見たい光景です。

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これは、松原神社の角にある交番の前にあった映画ポスター看板です。
80年代の初めまでは、このポスター看板は、あったと思います。

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そして、佐賀市内をはじめ各市町村に映画館があった時代がありました。

最盛期の1960年(昭和35年)には、90館もの映画館が、
佐賀県内にあったようです。

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東松浦郡に、10館もあります。
意外と少ないのが、鳥栖市の3館です。

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とにかくどこの町にも映画館があったようです。

そう言えば、以前大和町にあった春日映劇の様子を聞いた事が、
ありますが、畳が敷いてあって,雨の日には農家の人たちが、
畳に寝転がりながら映画を観ていたとか。

今では考えられないですが、
いかにも田舎の映画館というのどかな様子が目に浮かびます。














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カンブリア宮殿で取り上げられるほど、

最近のJR九州では、”ななつ星”や”ゆふいんの森”
”特急かわせみ・やませみ”などの豪華列車を走らせて、
成功を収めていますが、

かつての国鉄末期には、
全国の赤字ローカル線の廃線ラッシュが続きました。


そんな廃線ラッシュの真っただ中に国鉄佐賀線も、

昭和62年(1987年)3月27日に、最後の日を迎えました。


それから今年で31年になります。


南佐賀駅から筑後川昇開橋までは、
サイクリングロードとして整備されていますが、

佐賀駅から南佐賀駅までの区間は、
現在どうなっているのか気になったので、
調べてみました。

01

佐賀駅から続く高架をたどっていくと、
佐賀線と分岐している地点があります。
02

線路上へ登るための鉄製の階段がありますが、
現在錆びついて、閉鎖されています。


03

高架が二股に分かれているのが、分かりますね。

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高架が切断されている箇所です。

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正面からも確認できます。

まさか切断されて箇所が、まだ残っているとは思いませんでした。



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切断された先は、どうなっているのでしょうか?

江崎しろありの左側の道路が、佐賀線の跡です。

07

江崎しろありの少し先に、交差点があります。
この交差点は、高架になっていたようです。

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その先の交差点です。

おそらくここも高架だったのではないでしょうか。

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旧長崎街道との交差点です。

この辺は、土手のようになっていたようです。
長崎街道は、土手の中をくぐるようになっていたのでしょうか?

この先に、最初の駅”東佐賀駅”がありました。

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ここが、東佐賀駅の跡です。

ここが駅だったことを示す痕跡は、何もありません。

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その跡地から、道路を隔てて向かい側を見たところです。

現在駐車場になっていますが、当時は駅舎があったと思われます。


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駐車場の裏には、なんとなく当時の駅前の雰囲気が残っています。

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この辺の建物は、当時から存在していたものでしょう。

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ここも当時から存在している建物ですね。
何かの店舗だったのかも知れません。

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この辺の並びも商店だったと思われます。

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先に進みます。

ここは、数年前に佐賀線跡が整備されてきれいな道路となりました。

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道路が整備された時に出来た,”新曙橋”の交差点です。
この交差点も、高架だったのか?

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そして、この南佐賀の交差点は踏切だったようです。

自転車が止まっている横断歩道の先から徐福サイクルロードとなります。


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これは、踏切に設置してあった注意書きです。

かなり痛んでいます。

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南佐賀駅のホームと、現在も残されている引き込み線です。

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ホームも当時のまま残されています。
向かい側は、公園として整備されています。

22

この駅舎も当時の物です。

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運賃表と時刻表です。

瀬高まで、380円ですね。(1987年当時)
今の運賃に換算すると、1.5倍くらいにはなるかもしれません。

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駅舎の中は、公衆トイレに改装されています。

これは、障害者用トイレです。

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こちらは、男子用トイレです。

まずまずの清潔感を保っていました。

南佐賀駅は、この廃線跡で最も保存状態がいい駅です。

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せっかくなので、昇開橋まで行く事にして先に進みます。

ここからずっと桜並木が続き、
桜満開ともなると桜のトンネルと化します。

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右に見える家屋などは、車窓からも同じように見えていたのでしょう。
典型的なローカル線の風景です。

佐賀線には、何回か乗ったことがあるのですが、
車窓の風景などは、ほとんど記憶にありません。

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当時の車窓から見ると、こんな感じですね。

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道路を横断して、”光法みつのり駅”があります。

ホームが、ほぼ当時のままの長さで残っています。
ホームの上には、屋根付きの休憩所が設けられています。


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かつて駅舎があった場所です。
現在は、空き地となっています。

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ここからしばらくは、真っすぐな道が続きます。


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そして”ふるさとちびっこギャラリー”という、
全国の子どもが描いた日本各地の市町村の絵が道に沿って、
展示されています

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このような絵がはめ込まれているモニュメントが、
次々と現れます。

34

描いた子供の氏名や住んでいる市町村の人口、
特徴などが添えられています。

ちなみに1990年頃に描かれたものなので、
現在は、市町村合併により名称や人口などが変わっている所も
あるかと思います。

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しばらく進むと、登りになります。

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左を見ると、公園が整備されています。

そのちょっと先は、高架橋ですが手前に旧佐賀線の説明板が、
設置されています。

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こんな案内板です。
かなり詳しい情報や貴重な写真が記載されています。

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佐賀線についての説明です。

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現在の佐賀線と筑後川昇開橋の写真です。

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英語と中国語による説明文です。


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そしてこれが非常に貴重な写真です。

走っている車を見ると、昭和40年代半ばくらいだと思われます。
SLが走っている最後の佐賀線の様子でしょう。

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佐賀線の路線図です。

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橋の上から208号線大川方面を見たところです。

44

こちらは、佐賀方面を見たところです。

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橋を渡ると、下りが続き公園が現れます。

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獅子の広場という公園です。

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その先は、道路を横断します。
当時は、踏切になっていたようです。

48

そして先ほどの公園が続きます。

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ここに展示されているのは、海外の子供が描いた絵です。

なぜ佐賀線跡に子供が描いた日本全国や世界の都市の絵が展示されているのか?
一体どういうルートで、こんな絵を入手したのでしょうか?

徐福サイクルロードが整備されてのが1991年なので、
これらの絵が展示されてからもすでに27年になろうとしています。

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この辺りは、しばらく公園化された箇所が続きます。

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一番広い場所がここ、ルックモールです。
かなり劣化しています。

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奥に見えるのは、1990年頃の世界地図です。

この公園は、ルックワールドの日通旅行が、
関係しているのでしょうか。

しかしメンテナンスがされてないようで、
劣化が目立ちます。



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53

そのすぐ先に、大きな建物が現れます。

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諸富家具振興協同組合の建物です。

55


その建物と連結して、諸富文化体育館ハートフルがあります。


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ドラゴンゲートプロレスの興行で、有名です。

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そしてここは、元諸富駅があった場所です。

駐車場の東端に、ポツンとこんなモニュメントが建てられています。

目立たないので、気が付く人もほとんどいないと思われます。

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廃線時の駅舎の写真。

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諸富駅の説明文です。



1986年に撮影された、諸富駅から昇開橋を渡って、
筑後大川駅までの乗車記録がありました。

車窓の風景や筑後大川駅の様子など貴重な映像です。

映っている子供は、
現在40歳くらいになろうかという年でしょうか。

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諸富駅の先からは、右にカーブして昇開橋へと続きます。
二股に分かれている右側が、佐賀線跡です。

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この道路(国道444号線)を横切ると、昇開橋です。


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昇開橋の前に展示してある、大きな写真と説明文のパネルです。

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この階段を登ると昇開橋ですが、現在通行止めとなっています。

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階段を登ったところに設置してある、諸富駅から移設したと思われる、
駅名板です。

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昇開橋の前は、このようにパネルで閉鎖されています。

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復旧工事の状況説明です。

どうやら熊本地震の時に、ダメージを受けていたようです。

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バランスウェイトをぶら下げていた、ワイヤーロープの
ガイドローラーが、破損しているようです。


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現在部品の交換・修理作業がなされているとのことです。

3月31日に復旧工事は完了する予定のようです。

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近くのモニュメントには、貴重な写真がいくつも展示されています。


これは昭和初期?の昇開橋を渡る列車です。

67


昭和62年(1987年)3月27日、佐賀線最終日のさよなら列車と、
国鉄諸富駅の写真です。


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諸富駅?の切り替え機らしき物が、モニュメントとして展示されています。

72

佐賀線が開通する以前の馬鉄(馬が引く客車)が走っていた頃の、
(大正時代)諸富駅付近の写真です。

当時は、かなり珍しかったと思われる自動車が写ってますね。
右側に写っている女性2人の服装にも注目です。


73

これも貴重な、大正時代の乗車券の写真です。

74

昭和30年代前半の渡し船の様子です。
子どもたちが大勢乗り込んでいますね。

服装から真夏に撮られたものだとわかります。

75

これは、トラックが渡し船に乗せられている写真です。

手前のオートバイも順番待ちをしているようです。


76

昭和32年に渡し船は、廃止されたようです。

料金ですが、終戦直後で人が5円、自転車が10円、
オート3輪・トラックが100円なっていますが、

本当にかなり割安なのでしょうか?

気になったので、ちょっと調べてみました。

昭和25年の物価です。

白米1升60円    砂糖1キロ310円    卵1個15円    ビール1本130円   
そば・うどん15円    コーヒー30円   

昭和30年だと、

白米1升98円 砂糖1キロ150円 卵1個14円  ビール1本125円
そば・うどん30円    コーヒー50円
 
参照元:http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J077.htm

こんな物価なんですが、本当にかなり割安と感じていたんでしょうか?
結構高いような気がしますけどw

なんか現在の物価と比較しているような気がしますがどうでしょうか。


まぁ橋が開通したら、誰も渡し船には乗らないですね。


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これは、最近新しく展示された写真です。

明治時代の対岸の様子を写したパノラマ写真です。

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左側には、深川精米という精米所があったようです。


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中心は、製缶所、右は造船所となっています。

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こんな本格的なドックがある大きな造船所があったとは、
驚きです。

82

これが、徐福サイクルロードの”徐福”像です。

徐福とは、秦の始皇帝が不老不死の薬を探すために派遣した、
使者です。

その徐福が、諸富の辺りに上陸したという伝説があるようです。

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ここに来たのかはともかく、徐福自体は存在していたようです。

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伝説によると、徐福は金立山に登って不老不死の薬草を発見した
ことになっています。

驚くことに、茶屋の娘”お辰”と恋に落ちたらしい。

2200年前の日本と言えば、弥生時代の真っ最中です。
吉野ヶ里で、お辰と出会ったのでしょうかw

お辰なんて、江戸時代の町娘の呼び名だろう!

などというツッコミは、いけません。

85

最後に、ここには”橋の駅ドロンパ”という物産販売所が、
あります。

特産のイチゴやメロンや有明海の海産物が販売されています。


昇開橋から先の佐賀線跡の現状も気になるので、
後日調査しようと思います。


■参考サイト

●プラットホームの旅


廃線前の佐賀線の駅の写真が掲載されています。

●国鉄佐賀線の思い出

佐賀線沿線に住んでいた人が記録した佐賀線の思い出。
最終日の佐賀線の様子が記録されている貴重なサイトです。



こちらは諸富から昇開橋を渡ったすぐの駅、
筑後若津駅までの映像です。



これは、筑後大川駅から佐賀方面への上りの車窓です。























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