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タグ:佐賀城


岸岳城は、波多氏の本城で約450年ほど存続していたという山城です。
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場所は、国道203号線の相知町から山に向かって進み、
どんどん登っていくと登山口の駐車場があります。
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20台くらいは、停められそうな駐車場です。
この先にも同じくらいの広さの駐車場が、あります。

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岸岳城は、山の尾根に沿って細長い縄張りです。
端から端まで、1キロほどもあるという山城としては、
かなりの規模となっています。

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城の説明です。


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駐車場から少し登ると、森林の中の道に出るのでしばらく歩きます。
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途中には、こんな祠があります。
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ここからが本格的な登りになります。
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この登山道を10分ほど登ります。




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右へ行くと、本丸で左へ行くと、旗竿石です。
まずは、本丸方面へ向かいます。
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尾根には、時折大きな石や石垣の一部らしい加工された石がゴロゴロ転がっています。
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結構起伏もあり、このような鎖の手すりが設置されている個所があります。
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この先に三の堀切が、あるようです。
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三の堀切です。
木製の橋が掛けられています。
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橋の上から下を見ると、かなり深く尾根が削られているのがわかります。
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その先には、
石垣の一部でしょうか、加工されている石がありました。
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結構歩いて三の丸に来ました。
二の堀切まで300mもあります。
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三の丸の様子です。
曲輪なので、平らに整地してあります。
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さらに進んでいきます。
左右が斜めの崖になっていて、ここが尾根だとよくわかります。
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二の堀切まであと100mです。
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二の堀切に着きました。
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一部崩落していますが、堀切の側面が堅固な石垣で固められています。
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少し離れたところから見た二の堀切です。
かなり深くえぐれているのが、確認できます。
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二の堀切から先に進んでいくと、このような楔で割られた痕がはっきり分かる、
石が転がっていました。
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周辺には、同じような石がいくつも転がっています。
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ここにあった石垣が崩されたのかもしれません。
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これは、瓦の破片のようです。
ここに建っていた建物の瓦でしょうか。
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この辺りにも石垣の石らしい四角い石が転がっています。
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二の丸です。
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ここには、伝埋め門という門の跡があります。
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これが埋め門のようです。
石の置き方が、なんとなく入り口のような形状をしています。
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少し進むと、柵が見えてきます。
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井戸跡でした。

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中を覗き込むと、かなり深いのがわかります。
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その先が大手口です。
ここが大手口だという入り口の痕跡は、良くわかりませんでした。
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小皿が落ちていました。
古そうな感じはするのですが、当時の物かどうかは不明です。
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これは、何か器の破片のようです。
この城で使われていた物なのでしょうか。
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結構広い場所に出てきたと思ったら、
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本丸でした。

この先に三左衛門殿丸という曲輪があるようです。
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三左衛門殿丸の曲輪自体は、小さいようですが、
このような石垣で固められています。
現在かなり崩落しています。
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三左衛門殿丸から250m先には、
「姫落し岩」と言う何やら恐ろしい名前の岩があるようです。




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しばらく進むと、大規模な石垣が現れます。
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積み方は、粗いですがかなりの高さの石垣です。
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隅の方は、それなりに整えられています。
こんな山頂にこれだけの石垣が築かれているのが、驚きです。
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さらに尾根を進んでいきます。
かなりの距離を歩いてきましたが、まだ先端には到達しません。
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起伏が多くなり、手すりが現れました。
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姫落し岩まで、あと100mです。
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急に大きな石が現れ始めました。
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尾根が細くなり大きな石がそこら中に転がっています。
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もしかしてこれが姫落し岩かと思ったら、違いました。
しかし意図的に積んである気配が、あります。
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さらに尾根が細くなり、さらに石が増えてきます。
そろそろ先端に近いようです。
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そして姫落し岩が現れました。
崖に向かって突き出しています。
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姫落し岩に上って下を見ると、足がすくむほどの高さです。
100mくらいはあるのではないでしょうか。

姫落し岩の由来は、波多氏が秀吉に改易された時、
家臣団は、自刃して姫を始め女子供達は、この岩から身を投げたという伝説からです。
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しかし岩の上からの眺望は、抜群です。
唐津の海まで見渡せます。
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そのすぐ側には、伝抜け穴があります。
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これが抜け穴です。
埋蔵金が隠されているという伝説もあるようです。
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先端には、こんな石碑が立っていました。

この後、登り口まで戻って旗竿石まで行ってみることにします。
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分岐点まで戻ってきました。
ここから西の端まで往復するだけで、かなりの距離を歩くことになります。
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旗竿石方面は、結構険しい山道となっています。
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5分ほどで、旗竿石に到着しました。
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これが、旗竿石です。
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竿を差す穴が、あいています。
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ここからの眺めも最高です。
見張り台として使われていたのでしょう。

この城郭は本当に大規模で、端から端まで散策すると、
かなりの距離を歩くことになります。

それだけに見所も多く、山城の醍醐味を堪能できるでしょう。




唐津市厳木町にある山城、獅子ヶ城を訪ねました。

石垣がよく残っている事で、知られている山城跡です。


場所は、JR厳木駅のちょっと先を左に曲がってしばらく進むと、
このような案内板が出てきます。


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ここを右に曲がって、どんどん山を登っていくと駐車場があります。

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クルマ20台くらい停められそうな、割と広い駐車場です。

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駐車場の目の前には、
まるでこの城の堅固さを誇示しているかのような断崖絶壁がそびえ立ち、
圧倒されます。


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駐車場の端には、立派な案内板が設置してあります。

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城の歴史や縄張りの詳細が分かります。

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城の歴史です。

紆余曲折を経て、唐津藩の寺沢氏の城となり一国一城令で、
廃城となったようです。






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城内へと続く道を登ります。

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現在、整備された階段となっています。

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階段の石の中には、楔で割られた痕が見られるものがあります。

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しばらく登ると、南三の丸です。

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三の丸の端は、突起状になっていて側面は急斜面です。
これではとても登ってこれそうにありません。

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二の丸へと登って行く途中には、このような石垣が残っています。

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石垣の積み方は、粗めです。
ちなみに石垣は、寺沢氏の代に築かれたそうです。
(1600年初頭ごろ?)

この石垣の上が、二の丸の縁にあたる場所です。

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井戸曲輪の説明板です。
ここに井戸があったからそう呼ばれているのでしょう。

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崩れた石垣の上に仏像がいくつか立てられていました。
年代を見ると、昭和初期の物でした。

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ここを登ると、本丸です。
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端の方は、石垣でがっちりと固められています。
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ここが本丸です。

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本丸の説明板です。
このように、タイル製の立派な説明板がいくつも設置してあります。

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本丸についての説明です。
城の末期には、建物が建っていたようです。

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本丸は、このように城の端の方にあります。





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本丸の一角には、仏像が並んでいます。
お供え物の花が新しいので、地元の人がお参りに来ているのでしょう。

なぜここに仏像があるのかはわかりませんがいつの頃からか、
聖地のような場所になっているのでしょうか。

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本丸からの眺めは、最高です。

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周囲をくまなく見通すことができるのと同時に、
外からこの城の威容を見せつける事が出来ると言うわけです。

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本丸の周囲は、角ばっていて全周を石垣に囲まれています。

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ここは本丸へ入る虎口です。小規模ながらも枡型になっているのが分かります。

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ここに転がっている石は、石垣に使われていたものの一部でしょうか。
廃城になった時に壊された石垣の一部かもしれません。

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本丸の側面の石垣です。

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大きな石ががっちりと組まれています。

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隅は、粗い積み方ながらも算木積みとなっています。

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むき出しの岩盤を石垣の一部として利用している個所もあります。

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ここは、二の丸の端の方です。
このように急斜面になっています。

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柵で囲まれているのは、

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もちろん井戸です。
これが、井戸曲輪の井戸です。

こんな山の頂上付近でも、深い穴を掘れば水が出てくるのですね。

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ここは、尾根を分断している堀切です。
これにより敵が二の丸から本丸へは容易に移動できなくなっています。

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かつては立っていたであろう表示板です。

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二の丸の角にも石垣が残っている個所がみられます。

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ここは、城への入り口である虎口があった場所です。

先ほどの本丸への虎口と比べると、かなり大きな枡型となっています。

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ここにも表示板が、転がっていました。

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この辺りにも石垣がよく残っています。

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とにかく堅固な石垣が至る所に残っている事に驚かされます。

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石垣を見ていると、往時の威容が目に浮かぶようです。

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そして再び駐車場へ戻り、今度は出丸へ行ってみます。

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石がゴロゴロ転がっている中を進んでいきます。

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今年の大雨で倒れたと思われる木々が、道をふさいでいたので、
脇を通ります。

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ここが出丸です。

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出丸の縄張り図です。

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出丸の説明です。

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側面は、恐ろしく急な斜面となっています。

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出丸をよく見ると、説明板にあった礎石がいくつか確認できました。
礎石の数と間隔から、そこそこ大きな建物があった事が窺えます。

現在、木々に遮られて見晴らしは良くありませんが、
木々が無かった当時は、最高の見晴らしだったと思われます。

なるほど見張りに最適なわけです。

この獅子ヶ城、驚くほどの堅固な石垣が残っていて、
数ある山城跡の中でも、最高の物の一つと言ってもいいかも知れません。

城好きの方には、超おすすめの山城です。








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全国的にも珍しいという、佐賀城の石垣を切り出した遺構
【川上石丁場跡】を確認してきました。


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場所は、この淀姫神社からほど近い場所で、


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勧進橋(官人橋)を渡り龍登園の前を左に曲がってすぐのところに、


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文殊院の入り口である石段が見えます。

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ここが、川上石丁場への入り口でもあります。


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コンクリートの道の先が山道になっていますが、
ここをどんどん登って行きます。


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かなり急な登りなので、息が切れるほどです。


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しばらく登ると、大きな石が見えてきます。

この辺りが石丁場です。


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ここには、こんな案内板が設置されています。

これによると、石切場の遺構が完全な形で残っているのは、
全国的にも珍しいという事です。


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辺り一面に転がっている石は、
すべて400年以上前に切りだされた大石の破片だと思われます。

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この大きな石には、楔の跡が見られます。

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このように大きくて深く、割る直前まで打ち込まれていますが、
途中で割るのをやめたようです。

いったいどんな理由があったのでしょうか。


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この石も人工的な加工がなされています。


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登山道沿いには、割と大きめの石がゴロゴロ転がっています。


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この石にも楔の跡が見られます。

石丁場の案内板からしばらく登ると、文殊院の上宮にたどりつきます。


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はっきり言って、ここまで登るのはかなりキツイです。

とにかく勾配が急で、運動をしていない人にとっては、
相当息が切れて、心臓バクバクになると思います。


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この上宮は、落書き堂として有名?です。



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合格祈願の聖地として知る人ぞ知る神社です。


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このように数十年に渡って書かれた合格祈願で、外も中も埋め尽くされています。

石切場もここまでで、この先は巨石パークへと続く山道となっています。



切り出した石は、船で嘉瀬川を下って佐賀城下まで運んだらしいです。

しかしあの急な坂を、大きくて重い城の石垣用の石を人力で運ぶのは、
どれほどの労力が必要だったのか?

想像しただけでも大変そうです。

現場にいると、常時何百人?もの工夫が何年にも渡って石切りの作業をしていた様子が、
目に浮かび、城を建てるのがいかに大変な事だったのかを思い知ることができました。





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佐賀城は、往時には周りを堀に囲まれていましたが、
東側の堀は、昭和初期に埋められてしまったようです。

その堀を、佐賀城景観整備の一環として再現工事が進められています。

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現在工事が進められている堀の説明板です。

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ここは整備が進んでいてすでに水が引いてあります。

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現在歩道の整備が進められています。

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断面図

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江戸時代に修復工事が行われた記録が刻んである「記石(きせき)」
が、近くの県立博物館に展示されています。


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工事中に見つかった、江戸時代の石積。

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この辺りは、当時の赤石を使って修復されているようです。

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修復を待つ赤石が積んであります。

工事が完了するまでには、まだ数か月はかかりそうでした。

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佐賀城の周りは、幅50メートルくらいある広い堀で囲まれています。

その西側の堀の石垣の修復工事が行われている所を見に行きました。

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こんな風に修復工事が行われていました。


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この赤い石は、まさしく当時(江戸時代初期)の石だと思われます。

当時もこのような感じで、石垣が積み上げれていたのでしょうか。

お堀の石垣が積まれた時の様子を想像してしまいました。

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