SAGA佐賀マニア~佐賀のマニアックな情報発掘

佐賀の歴史スポットや気になるお店、街歩きネタを発信しています。

タグ:筑後川昇開橋

カンブリア宮殿で取り上げられるほど、

最近のJR九州では、”ななつ星”や”ゆふいんの森”
”特急かわせみ・やませみ”などの豪華列車を走らせて、
成功を収めていますが、

かつての国鉄末期には、
全国の赤字ローカル線の廃線ラッシュが続きました。


そんな廃線ラッシュの真っただ中に国鉄佐賀線も、

昭和62年(1987年)3月27日に、最後の日を迎えました。


それから今年で31年になります。


南佐賀駅から筑後川昇開橋までは、
サイクリングロードとして整備されていますが、

佐賀駅から南佐賀駅までの区間は、
現在どうなっているのか気になったので、
調べてみました。

01

佐賀駅から続く高架をたどっていくと、
佐賀線と分岐している地点があります。
02

線路上へ登るための鉄製の階段がありますが、
現在錆びついて、閉鎖されています。


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高架が二股に分かれているのが、分かりますね。

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高架が切断されている箇所です。

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正面からも確認できます。

まさか切断されて箇所が、まだ残っているとは思いませんでした。



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切断された先は、どうなっているのでしょうか?

江崎しろありの左側の道路が、佐賀線の跡です。

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江崎しろありの少し先に、交差点があります。
この交差点は、高架になっていたようです。

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その先の交差点です。

おそらくここも高架だったのではないでしょうか。

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旧長崎街道との交差点です。

この辺は、土手のようになっていたようです。
長崎街道は、土手の中をくぐるようになっていたのでしょうか?

この先に、最初の駅”東佐賀駅”がありました。

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ここが、東佐賀駅の跡です。

ここが駅だったことを示す痕跡は、何もありません。

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その跡地から、道路を隔てて向かい側を見たところです。

現在駐車場になっていますが、当時は駅舎があったと思われます。


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駐車場の裏には、なんとなく当時の駅前の雰囲気が残っています。

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この辺の建物は、当時から存在していたものでしょう。

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ここも当時から存在している建物ですね。
何かの店舗だったのかも知れません。

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この辺の並びも商店だったと思われます。

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先に進みます。

ここは、数年前に佐賀線跡が整備されてきれいな道路となりました。

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道路が整備された時に出来た,”新曙橋”の交差点です。
この交差点も、高架だったのか?

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そして、この南佐賀の交差点は踏切だったようです。

自転車が止まっている横断歩道の先から徐福サイクルロードとなります。






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これは、踏切に設置してあった注意書きです。

かなり痛んでいます。

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南佐賀駅のホームと、現在も残されている引き込み線です。

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ホームも当時のまま残されています。
向かい側は、公園として整備されています。

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この駅舎も当時の物です。

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運賃表と時刻表です。

瀬高まで、380円ですね。(1987年当時)
今の運賃に換算すると、1.5倍くらいにはなるかもしれません。

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駅舎の中は、公衆トイレに改装されています。

これは、障害者用トイレです。

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こちらは、男子用トイレです。

まずまずの清潔感を保っていました。

南佐賀駅は、この廃線跡で最も保存状態がいい駅です。

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せっかくなので、昇開橋まで行く事にして先に進みます。

ここからずっと桜並木が続き、
桜満開ともなると桜のトンネルと化します。

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右に見える家屋などは、車窓からも同じように見えていたのでしょう。
典型的なローカル線の風景です。

佐賀線には、何回か乗ったことがあるのですが、
車窓の風景などは、ほとんど記憶にありません。

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当時の車窓から見ると、こんな感じですね。

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道路を横断して、”光法みつのり駅”があります。

ホームが、ほぼ当時のままの長さで残っています。
ホームの上には、屋根付きの休憩所が設けられています。


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かつて駅舎があった場所です。
現在は、空き地となっています。

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ここからしばらくは、真っすぐな道が続きます。


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そして”ふるさとちびっこギャラリー”という、
全国の子どもが描いた日本各地の市町村の絵が道に沿って、
展示されています

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このような絵がはめ込まれているモニュメントが、
次々と現れます。

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描いた子供の氏名や住んでいる市町村の人口、
特徴などが添えられています。

ちなみに1990年頃に描かれたものなので、
現在は、市町村合併により名称や人口などが変わっている所も
あるかと思います。

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しばらく進むと、登りになります。

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左を見ると、公園が整備されています。

そのちょっと先は、高架橋ですが手前に旧佐賀線の説明板が、
設置されています。

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こんな案内板です。
かなり詳しい情報や貴重な写真が記載されています。

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佐賀線についての説明です。

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現在の佐賀線と筑後川昇開橋の写真です。

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英語と中国語による説明文です。


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そしてこれが非常に貴重な写真です。

走っている車を見ると、昭和40年代半ばくらいだと思われます。
SLが走っている最後の佐賀線の様子でしょう。

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佐賀線の路線図です。

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橋の上から208号線大川方面を見たところです。

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こちらは、佐賀方面を見たところです。

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橋を渡ると、下りが続き公園が現れます。

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獅子の広場という公園です。

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その先は、道路を横断します。
当時は、踏切になっていたようです。

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そして先ほどの公園が続きます。

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ここに展示されているのは、海外の子供が描いた絵です。

なぜ佐賀線跡に子供が描いた日本全国や世界の都市の絵が展示されているのか?
一体どういうルートで、こんな絵を入手したのでしょうか?

徐福サイクルロードが整備されてのが1991年なので、
これらの絵が展示されてからもすでに27年になろうとしています。

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この辺りは、しばらく公園化された箇所が続きます。

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一番広い場所がここ、ルックモールです。
かなり劣化しています。

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奥に見えるのは、1990年頃の世界地図です。

この公園は、ルックワールドの日通旅行が、
関係しているのでしょうか。

しかしメンテナンスがされてないようで、
劣化が目立ちます。




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そのすぐ先に、大きな建物が現れます。

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諸富家具振興協同組合の建物です。

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その建物と連結して、諸富文化体育館ハートフルがあります。


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ドラゴンゲートプロレスの興行で、有名です。

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そしてここは、元諸富駅があった場所です。

駐車場の東端に、ポツンとこんなモニュメントが建てられています。

目立たないので、気が付く人もほとんどいないと思われます。

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廃線時の駅舎の写真。

59

諸富駅の説明文です。



1986年に撮影された、諸富駅から昇開橋を渡って、
筑後大川駅までの乗車記録がありました。

車窓の風景や筑後大川駅の様子など貴重な映像です。

映っている子供は、
現在40歳くらいになろうかという年でしょうか。

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諸富駅の先からは、右にカーブして昇開橋へと続きます。
二股に分かれている右側が、佐賀線跡です。

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この道路(国道444号線)を横切ると、昇開橋です。


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昇開橋の前に展示してある、大きな写真と説明文のパネルです。

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この階段を登ると昇開橋ですが、現在通行止めとなっています。

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階段を登ったところに設置してある、諸富駅から移設したと思われる、
駅名板です。

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昇開橋の前は、このようにパネルで閉鎖されています。

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復旧工事の状況説明です。

どうやら熊本地震の時に、ダメージを受けていたようです。

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バランスウェイトをぶら下げていた、ワイヤーロープの
ガイドローラーが、破損しているようです。


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現在部品の交換・修理作業がなされているとのことです。

3月31日に復旧工事は完了する予定のようです。

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近くのモニュメントには、貴重な写真がいくつも展示されています。


これは昭和初期?の昇開橋を渡る列車です。

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昭和62年(1987年)3月27日、佐賀線最終日のさよなら列車と、
国鉄諸富駅の写真です。


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諸富駅?の切り替え機らしき物が、モニュメントとして展示されています。

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佐賀線が開通する以前の馬鉄(馬が引く客車)が走っていた頃の、
(大正時代)諸富駅付近の写真です。

当時は、かなり珍しかったと思われる自動車が写ってますね。
右側に写っている女性2人の服装にも注目です。


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これも貴重な、大正時代の乗車券の写真です。

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昭和30年代前半の渡し船の様子です。
子どもたちが大勢乗り込んでいますね。

服装から真夏に撮られたものだとわかります。

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これは、トラックが渡し船に乗せられている写真です。

手前のオートバイも順番待ちをしているようです。


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昭和32年に渡し船は、廃止されたようです。

料金ですが、終戦直後で人が5円、自転車が10円、
オート3輪・トラックが100円なっていますが、

本当にかなり割安なのでしょうか?

気になったので、ちょっと調べてみました。

昭和25年の物価です。

白米1升60円    砂糖1キロ310円    卵1個15円    ビール1本130円   
そば・うどん15円    コーヒー30円   

昭和30年だと、

白米1升98円 砂糖1キロ150円 卵1個14円  ビール1本125円
そば・うどん30円    コーヒー50円
 
参照元:http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J077.htm

こんな物価なんですが、本当にかなり割安と感じていたんでしょうか?
結構高いような気がしますけどw

なんか現在の物価と比較しているような気がしますがどうでしょうか。


まぁ橋が開通したら、誰も渡し船には乗らないですね。


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これは、最近新しく展示された写真です。

明治時代の対岸の様子を写したパノラマ写真です。

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左側には、深川精米という精米所があったようです。


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中心は、製缶所、右は造船所となっています。

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こんな本格的なドックがある大きな造船所があったとは、
驚きです。

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これが、徐福サイクルロードの”徐福”像です。

徐福とは、秦の始皇帝が不老不死の薬を探すために派遣した、
使者です。

その徐福が、諸富の辺りに上陸したという伝説があるようです。

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ここに来たのかはともかく、徐福自体は存在していたようです。

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伝説によると、徐福は金立山に登って不老不死の薬草を発見した
ことになっています。

驚くことに、茶屋の娘”お辰”と恋に落ちたらしい。

2200年前の日本と言えば、弥生時代の真っ最中です。
吉野ヶ里で、お辰と出会ったのでしょうかw

お辰なんて、江戸時代の町娘の呼び名だろう!

などというツッコミは、いけません。

85

最後に、ここには”橋の駅ドロンパ”という物産販売所が、
あります。

特産のイチゴやメロンや有明海の海産物が販売されています。


昇開橋から先の佐賀線跡の現状も気になるので、
後日調査しようと思います。


■参考サイト

●プラットホームの旅


廃線前の佐賀線の駅の写真が掲載されています。

●国鉄佐賀線の思い出

佐賀線沿線に住んでいた人が記録した佐賀線の思い出。
最終日の佐賀線の様子が記録されている貴重なサイトです。



こちらは諸富から昇開橋を渡ったすぐの駅、
筑後若津駅までの映像です。



これは、筑後大川駅から佐賀方面への上りの車窓です。























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3月27日で、旧佐賀線(佐賀~瀬高)が廃線になって30年経ちます。

現在旧佐賀線跡は、徐福サイクルロードと呼ばれる
サイクリング・ウォーキング・ランニングコースとなっていて、
多くの市民に利用されています。

この道の末端が、筑後川昇開橋となっています。

全長5キロほどのこのコースを1時間ほど歩くと、
筑後川昇開橋です。

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始点の南佐賀駅跡です。
現在は、公衆トイレになっています。

プラットフォームと、線路の一部が残されています。



02


当時の運賃と時刻表です。


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駅前は、公園となっていて夏祭りなどのイベントが開かれています。


04

両側には、桜の木が植えられていて満開になると、
ピンクの桜並木がずっと先まで続きます。


06

光法みつのり駅跡です。

ここもプラットフォームの一部が残されていて、
往時の雰囲気を感じることができます。


05


駅舎は無く、屋根の下にはテーブルとベンチが備え付けられている休憩所
となっています。


07


みつのり駅跡のちょっと先から、ふるさとちびっこギャラリーという
小学生が描いた日本の各都市の絵が飾られています。

08

ここから道の両側に、絵が描かれたプレートがはめ込まれた
モニュメントが一定間隔で設置されています。


09


北から順番に紹介されています。

1990年に描かれた絵なので、現在は若干町の様子も変わっているかも
しれません。

当時小学4年~6年くらいの子が、今や30代後半~40代前半に
なっているんですね。


10


この先は、国道208号線交わる陸橋となっています。


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ここに旧佐賀線についての案内板があります。




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まだ蒸気機関車が走っていた、昭和40年代の佐賀線の写真が興味深いですね。


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駅のマップと、往時の駅舎の写真です。






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終点の昇開橋手前には、ルックワールド広場があります。

ここは、ちょっと荒れた感じとなっているようです。


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昇開橋の手前の公園です。


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ドロンパという、道の駅のような産地直売所があります。

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昭和初期の昇開橋の大きな写真パネルがあります。

これは結構有名な写真らしいです。


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駅舎とさよなら列車の写真です。


21

ここは、もろどみ駅跡です。


22


筑後川に橋が架かる前は、ここから渡し船が出ていたとのことです。
これは昭和30年ごろの渡し船乗り場の様子です。



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昇開橋は、向こう側の大川市側まで渡ることができます。



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ただし通行可能時間が決まっていますので、ご注意ください。

また1時間ごとに昇開橋が稼働します。

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昇開橋の上から、見た筑後川です。

河口に近いので、広々としています。


25

ここが、上下する可動部の上です。



27

近くで見ると、複雑な構造がよくわかります。

28

この管理室にいる管理人の人が、橋の昇降や案内をしてくれます。


29

橋を渡った、大川市側から佐賀市側を見たところです。


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ここに、筑後若津駅がありました。


31

廃線になる2年前の昇開橋です。

もう列車は通ることは永遠にないですが、いつまでも残しておきたい風景です。


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