SAGA佐賀マニア~佐賀のマニアックな情報発掘

佐賀の歴史スポットや気になるお店、街歩きネタを発信しています。

映画館跡を巡りながら街中を散策するシリーズ。
今回は神崎市の映画館跡を訪ねてきました。
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神崎市には、神埼新世界映劇、神崎映画劇場、曙座の3館があったようです。

01
神崎市の中心街は、江戸時代長崎街道の宿場町となっていて、
至る所に歴史的な街並みが残されています。
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櫛田神社の駐車場にある案内板には、
街道沿いに残る歴史的建物や施設などが紹介されています。
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櫛田神社の境内です。
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このような立派な社殿が建っています。
06
南側にはかなり古そうな門が構えています。
その門の左側を見ると、なにやら街の案内のようなものが、
貼ってあることに気が付きました。
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昔の神崎の街中にあった施設などの写真でしたが・・・
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その中に、なんと神崎映画劇場の写真を見つけました。
昭和25年4月の落成時に撮られた記念写真のようです。

立派な建物の前に20数人が写っているようですが、
映画館のスタッフと町の有力者でしょうか。

戦後5年、これから映画が最大の娯楽となり、
全盛期を迎える前夜にオープンして、

昭和40年代まで営業していたようですが、
後にスーパーなどになったらしいです。

それにしても開館当時の記念写真は、
貴重ではないかと思われます。
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その神崎映画劇場があった場所を確認します。
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ここは旧長崎街道なので、
このような歴史的外観の商店も多数見られます。
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しかしこのようなシャッターが降りた店舗も多いです。
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ここも元何かの店舗のようですが、
閉店して何年も経っている雰囲気です。

神崎映画劇場は、この付近にありました。
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この佐賀信用組合の看板の向かい側だったようです。
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この駐車場の場所に、神崎映画劇場があったそうです。
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多くの映画館が閉館した時期である、
1966年以前に閉館となっているので、
15~6年ほどしか存在していなかった事になります。

昭和30年代半ばに映画全盛期となり、
その直後からテレビが急激に普及しだして、
それこそあっという間に役目を終了したという事でしょうか。

その後の”スーパーなどになりましたが”も気になる所です。
個人スーパーの時代も終わり、
最後は何の店舗だったのでしょうか。

16
すぐ側にはこんな川というか水路があります。
下に降りる古い石段があるところから、

この前紹介した長崎街道佐賀宿の荷揚げ場遺構と同じように、
かつては小舟が行き来して荷を運んでいたのでしょうか。

実は、あの石段の辺りにカワセミがいたので、
慌てて写真を撮ろうと思ったら、
あっという間に飛んで行ってしまいました。
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ここにも古い外観の商店がありました。
旧街道の雰囲気は残されているものの、
佐賀宿と同じく今一つの感があるのは否めません。
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珍しい丸ポストです。
かなり色あせていたのでもう使われていないのかと思ったら・・
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集荷時間が書いてあり現役でした。
20
もう一館の映画館があった場所へ向かいます。
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途中にあった個人営業の本屋です。
個人営業の本屋もめったに見なくなりました。

ここはどれくらいお客さんが来ているのだろうか?
などとつい考えてしまいます。
22
このラーメン屋は、どうやら人気店みたいです。
ただ昭和からやっているような店は、
老夫婦でやっている事が多く、
後継者問題などが悩ましいところです。
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その近くの昭和な衣料品店は、閉店しています。
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その向かい側の同じく昭和なクリーニング屋もだいぶ前に、
閉店しているようです。
25
映画館があった通りに出てきました。
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一瞬ここが元映画館なのかと思いましたが、
違うようです。
衣料品店ですが、それにしても昭和の映画館のような外観です。
28
この黄色い建物は、たこ焼き屋ですが、
頻繁に車が止まってたこ焼きを買っていくので、
名物たこ焼き屋のようです。
29
タミヤの星のマークが目立つ、
プラモや!という分かりやすい屋号の模型店です。

ここもファンが多そうな雰囲気が漂っています。

さっきのラーメン屋もそうですが、
ローカルな場所にあっても、ファンを掴んでいれば、
長く続けていけるという事ですね。
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映画館は、その先の高齢者施設の場所だったようです。
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ここに神埼新世界映劇があったという事ですが、
全く痕跡も残っていません。
1953年2に月開館して1973年以前に閉館しているようです。
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すぐ先には、国道34号線の交差点がありますが、

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その手前にこんな古びた建物が残っていました。
おそらく映画館があった頃から存在している建物ではないかと思います。

店舗はすべて閉店しています。
右側に見える昭和な自転車が、
長い事放置されていて、朽ちてきていました。

今度来た時には撤去されているかもしれません。
神埼新世界映劇の並びにもこんな建物が建っていたのでしょうか。
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国道34号線との交差点です。
この先には神崎駅があります。
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この小さな書店は、シャッターが降りています。
これくらいの小さな個人書店は、ほぼ絶滅していますね。
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その並びの、古い建物もシャッターが降りています。
元小さな個人商店だったようです。
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このような三角形の狭い隙間に建っているのが時代を感じさせます。
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設置されている自販機もそのまま放置されているようですが、
業者が回収しに来ないのでしょうか。
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そして櫛田宮へと戻ってきました。

さらにもう一館の曙座があったと思われる場所へ行ってみます。
41
先ほどの南側の鳥居です。
さっきは東へ向かいましたが、
ここから南へ向かった所に曙座があったようです。

曙座は、1940年前後に開館して、
(戦時中の為か)一旦閉館して1954年9月に開館しているようです。
そして例によって、1965年頃閉館となっています。

曙座の場所は、はっきりとはわかりませんが、
この通り沿いだったようです。
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このように歴史的な建物も残っています。
43
これは古賀銀行神崎支店の建物です。
佐賀市の柳町には、本店の建物があります。
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かなり立派な建物で、隣には蔵まで建っています。
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そのすぐ先は、最近公園として整備されています。
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このような広い芝生の広場となっています。

もしかしたら曙座は、ここにあったのかもしれません。
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何か痕跡でも残ってないか確認するため、
先の方へ行ってみます。

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このような昭和な店舗が結構残っています。
営業している所とシャッターが降りている所と半々くらいです。
49
ここは空き地となっています。
もしかしたらここだったのかもしれません。
50
映画館らしき建物は見当たりませんが、
せっかくなので神崎宿の端まで行ってみる事にします。
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ここにも丸ポストがありました。
このポストは、キレイに塗装されています。
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神幸館(かみさちかん)というかなり古そうな建物の脇にポストがあります。
ちなみにここは地域活性化の拠点のようです。
54
その先にもこんな空き地がありました。
ここにも店舗が並んでいたと思われます。
もしかしたら映画館もあったのかも知れません。




55
どうやら映画館の痕跡は残ってないようですが、
先に進みます。
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ここから先は、道路が石畳風に整備されていて、
街道の雰囲気が漂っています。
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元老舗薬屋だった所には、江戸時代の薬や道具が展示されています。
58
ここは名物神崎そうめんの老舗でしょうか。

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この辺りは、シャッターが下りた店舗が目立ちます。
60
元自転車屋です。
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ここは白壁の古い家屋ですが、何かの店舗だったようです。
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またまた丸ポストです。
神崎宿内に3か所もありました。
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このお寺は、脇本陣だったようです。
脇本陣は、大名クラスが泊まる場所で、
本陣が空いてない時にここを利用したとの事です。
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逆光で見にくいですが、この通りの端が、
東の入り口となっています。
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その東の入口から西を見たところです。
観光用のお土産屋があります。
66
江戸時代には、この様な木の門があったそうです。
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説明板によると、午前6時に門が開いて、
午後10時に閉められていたとの事です。

神崎市の長崎街道沿いは、往時の面影が残っている箇所や、
歴史的街並みが整備されている所もありますが、
観光地としては中途半端な整備に留まっています。

またシャッターの降りた商店も多く見られ、
ローカル商店街の厳しい現状も垣間見られました。

映画館が3館もあった頃の商店街はどんな様子だったのか?
かなりの賑わいだったのでしょうか。




佐賀にも見どころのある山城がいくつもあります。

三瀬城もそんな山城の一つです。

場所は、佐賀と福岡の県境である三瀬峠の入口付近です。
01
三瀬トンネルの手前から旧道に入ってすぐのところを、
右に曲がってしばらく走ると駐車場があります。
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ここから歩いて城跡まで登ります。
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駐車場にある案内板です。
04
城主の熊代勝利のイメージキャラクター、
”くまかっちゃん”
アーチストの326によるデザインのようです。
05
戦国時代の城主は神代勝利で、龍造氏と死闘を繰り返した後、
家臣となっています。

その神代勝利により堅固な城へと大改造されているようです。
06
城の構造は、広い主郭に細長い二の郭が繋がっていて、
主郭が巨大な土塁で囲まれているのが特徴となっています。
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主郭の端から二の郭の小口まで約150メートルほどでしょうか。
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登山道には、こんな城跡までの距離の立て札が
数か所に立てられています。
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あと650メートル、この辺からかなりの急こう配になります。
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なかなか険しい登山道です。
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山城を攻めると言っても、甲冑をまとって登るのは、
相当大変だっただろうと思われます。
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あと250メートル、ここからさらに険しくなります。
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二の郭の虎口に着きました。
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主郭まであと80メートルです。
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ここからは、脊振山系の山々を見渡すことができます。
見張り台もあったことでしょう。
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所々にこのような石垣の跡が見られます。
戦国時代後期から江戸時代にかけての石垣とは
全く違う、自然石を積み上げただけの石垣です。
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ここが主郭です。
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確かに周りを囲む土塁は、かなりの高さがあります。
長年の間に崩れているので、築城当時はさらに高かったと思われます。
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土塁の端は、急峻な崖となっていて、
登ってくるのは困難だと思われます。
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主郭の中は、予想以上の広さです。
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一部このような石垣が残っています。
当時の山城としては、石垣を多用しているようです。
22
他の山城の土塁は、申しわけ程度に残っている事が多いのに比べて、
この三瀬城の土塁は、2メートルくらいの高さが残っていることに、
驚かされます。
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主郭の土塁は、かなりの部分がこの石垣で補強されていたようです。
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主郭の中心には、こんな石の祠が建てれています。
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よく見ると、明治七年と刻まれているのがわかります。
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三瀬城は、大きな土塁と石垣が残っているので、
山城好きやそうでない人でも、見応えがある城跡だと思います。





 


佐賀の映画館跡を訪ねるシリーズ、

今回は、多久市の多久駅周辺にあった映画館跡を訪ねました。
東多久駅周辺にも3館の映画館が存在していましたが、

多久駅周辺には、
a

信和会館
多久古賀山会館
多久東映劇場
多久別府映画劇場
多久昭和館
そして駅から2キロほど離れたところに、
h


明佐館

と、6館もあります。
01
多久駅から歩いて映画館跡へと向かいます。

多久駅周辺は再開発が進んでいて、
多久駅もこのような立派な駅舎へと変わっていました。
02
駅前にはローターリーと広い駐車場が整備され、
駅前周辺は、かつてはどうなっていたか思い出せないほど変貌しています。
03
道路が拡張され、駅前にあった商店などは、
ほぼ無くなっています。
04
まずは駅の北側にあった映画館跡に向かいます。
多久昭映があった場所です。
多久昭映は、1970年~1971頃まで存在していたようです。
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国道203号の向かい側付近にあったと思われます。
06
この空き地になっている場所には、
家屋や店舗が建っていた事は覚えていますが、
いつから空き地になったのかは不明です。

ここに映画館があったのでしょうか。
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ついでに奥の方まで歩いて確認します。
映画館があったような雰囲気ではありません。
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古くからの住宅地で、空き家も目立ちます。
09
ここも空き家です。
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さらに進むと、同じ形の家が並んでいます。
もしかしたら旧炭鉱住宅でしょうか。
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次の映画館跡を確認するため、街中へやってきました。


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中心街も古い店舗と新しい店舗が入れ替わりつつあるようです。
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この辺りに多久映画劇場があったようです。
中央の看板が掲げられている建物が元映画館を思わせますが、
どうでしょうか。
映画館は1966年には閉館しています。
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もしかしたらその隣の駐車場になっている場所かも知れません。
この付近はまだなんとなく、当時の面影が残っているようです。
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次に駅前の通りを東に歩いたところにあったらしい、
信和会館跡へ向かいます。
信和会館も、1966年以前に閉館しています。
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クルマが2台停まっているラーメン屋付近だったようですが、
もしかしたら左側の空き地になっている所だったのかもしれません。

さらにその東側にも映画館があったようです。
多久古賀山会館です。

ここは、1969年以前に閉館しています。
本当に1966年前後に閉館している映画館が多いですね。
16
しばらく歩くとこんな建物が目に付きます。
飲食店として営業中でした。
この辺りに多久古賀山会館があったようです。
17
隣の倉庫のような建物が、
いかにもかつて映画館だった事を思わせます。

ここに間違いないとまでは言い切れませんが、
可能性は結構あると思われます。
18
線路の向こう側に見える建物の廃墟は、
かつての炭鉱施設です。
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近くには多久を拠点に活動しているアーチスト、
富永ボンドのショップがあります。
20
富永ボンドのボンドカー?です。
21
多久は、富永ボンドを中心にアートで町おこしをしています。
22
駅から東の方には、
まだいくつか昔の商店街の店舗が残っているようです。
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次に踏切を渡って、次の映画館跡へ向かいます。
多久東映劇場があった場所です。
多久東映劇場は、1969年以前に閉館しているとの事です。
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この交差点付近にあったのでしょうか。
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この辺りは道路拡張されて、昔の建物はほとんど残っていません。
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本当にこの辺に映画館があったのか?
と思わずにはいられないほど、新しい街へと変わっています。

もはやかつて近くに映画館があった事を知る人も、
ほとんどいないのかもしれません
28
次の映画館跡へ向かうため、駅へ戻ります。
29
ちょうど唐津線の列車が到着して、数名の乗客が乗り降りしていました。
そこそこ大きな駅ですが、2020年3月から無人化されているとの事です。
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駅に隣接して、”あいぱれっと”という市民交流センターがあります。
31
奥にはカフェもあり、市民の憩いの場として活用されています。
次の映画館跡は、駅からちょっと離れているので車で移動します。
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この交差点付近に明佐館という映画館があったようです。
明佐館も、1966年以前に閉館しています。
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この辺りには、江戸時代からの旧家がいくつか残っていて、
37
旧街道の面影を残しています。




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交差点付近には、多久市立病院という大きな病院があります。
33
交差点の奥に向かって多久聖廟です。
どこが映画館だったのか?
34
横断歩道を渡った所の空き地がちょっと気になります。
小さな映画館だったらここにあったとしても不思議ではありません。
35
この付近を歩いてそれらしき建物が無いか探しましたが、
見つけられませんでした。
閉館して50年以上経つので、無くなっているのでしょう。

それにしても多久駅周辺に6館もの映画館が存在していた事が驚きですが、
炭鉱町として栄えていた頃は、相当賑わっていたという事なのでしょう。

それでもほぼ同時期にほとんどの映画館が閉館したのは、
あっと言う間にテレビの時代になってしまって、
瞬く間に映画館には閑古鳥が鳴くようになったのでしょうか。

映画館末期の様子を想像すると、
物悲しい気分になってきます。

黄昏映画館
上野昂志
国書刊行会
2022-06-22

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現在長崎街道佐賀宿東の入口が、
牛嶋構口公園として整備されていますが、
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そこから西の方へ200メートルほどの所の、
紺屋川に掛かる思案橋の横で船着き場跡が見つかり、
このほど公園化整備が完了しています。
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奥に向かって東の入口(構口)となります。
01
このように案内板も備えた小さな公園となっています。


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石垣や階段は、江戸時代の物とのことです。
当時はもっと水量が多かったらしくて、
ここから船で運ばれてきた物資が荷揚げされていたようです。
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設置されている案内板には船着き場や街道の様子が、
非常に詳しく説明されています。
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右が江戸時代、左が現代の地図です。
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案内板によると、思案橋を渡ってすぐの所には、
江戸時代から「橋口屋」という、
名物うどん屋があったそうですが、
戦時中の昭和18年8月に物資不足で閉店となってます。

うどん屋もできないほど物資が窮乏するとは、
どんな状況なのか?
ちょっと想像できないです。
08
写真は昭和39年に撮影されているので、
その頃まで建物は、存在していたようです。

今SNSで広がるように、当時は旅人の口コミで、
佐賀宿に旨いうどんが食べられるうどん屋がある、
とか広まったのでしょうか。

おそらく写真が撮影された頃の長崎街道界隈は、
まだかなり江戸時代の景色が色濃く残っていたと思われます。
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この蔦屋は、昭和39年時点でも蔦屋商店として営業していたようです。

女性が引くリヤカーには、花が積んであるように見えますが、
どうでしょうか。
もしかしたらかごの中には子供がいるのでは?

こんな風に子供を連れて行商している人が
いた話を聞いたことがあります。

リヤカーを引く光景というのも今では見られないので、
貴重な記録写真です。
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これは発掘調査時の遺構の写真と遺構図です。
思案橋遺跡「荷揚げ場遺構」という名称になっています。
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このように、はっきりと石垣と石段が残っています。
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荷揚げ場のイメージ図です。
明治以降に3分の一ほど埋め立てられているようなので、
江戸時代には、今よりかなり川幅が広かった事がわかります。

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現在の紺屋川を見ると、とても船が行き来できるようには思えませんが、
当時は川幅が広く、水量も多かったという事ですね。
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この石段の側まで川幅があったようです。
15
石垣は、本当によく残っています。
16
ここからどんな物が荷揚げされていたのでしょうか。





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規模は小さいながら、ほぼ完全な形で残っている貴重な遺構です。
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この思案橋の付近には、遊郭があったらしいです。
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そんな遊郭を彷彿とさせる建物が近くにありました。
かなり古そうな建物ですが、江戸時代からあったのかは不明です。
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この牛嶋公民館の建物もかなり古そうです。
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佐賀宿は本当に大きくて、
東の端から西の端まで長さ6キロくらいあり、
見学しながら歩くと3時間くらいかかるほどです。
(丹念に見学すると4時間以上とかかかる)

この地図の範囲、東の入口構口から旧古賀銀行まででも、
江戸時代の街並みを再現できれば、
歴史的街並みとしての遺産となり、
かなりの観光名所にもなりそうだとは思いますが、
もう今からでは無理でしょうか。

むしろこれから取り組むことかもしれません。

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佐賀の映画館跡を訪ねるシリーズ。

今回は、小城の映画館跡を訪ねました。

小城は、小京都と呼ばれる、
歴史的な景観を残す街並みで知られていますが、
近年道路拡張など再開発が進んでいます。

小城には、小城東映・小城昭和館・小城巡映という、
3館の映画館があったとの事です。
00

小城東映は1950年頃開館して、
1967~68年頃閉館しているようです。

小城昭和館は1953年3月に開館して、
1975年頃閉館しているようです。

そして小城巡映は1980年頃開館して、
1985年頃閉館しているという、
わずか5年ほどしか営業していない映画館だったようです。
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唐津線の小城駅です。
駅舎は、2015年に改築されてキレイですが、
古い駅舎のレトロな雰囲気を残しています。
02
駅前ロータリーも整備されていて、
駅舎の前には歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻の石碑が設置されています。
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駅の向かい側には、最近できたと思われる、
カフェやサブカル系?の食堂らしき店舗が営業していました。
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この郵便丸ポストは、かなり古そうですが現役です。
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現在は、基本無人駅になっているようです。
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ここにも駅ピアノが置いてあります。
07
名所案内の看板の絵は、近くの小城高校の生徒が描いたようです。
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映画館は、駅前のメインストリートを北に向かって、
点々と存在していたらしいです。

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09
このメインストリートは、道路拡張が進んでいて、
古い建物は、徐々に撤去されています。
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やはりと言うか、シャッターが降りた店舗が多いです。
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このように、一部古い店舗も残ってはいます。
右の店舗は、今も営業しているようです。
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かつては商店街に必ずあった個人商店。
ここも営業はしてないと思ったら、
から揚げ屋として営業しているらしいです。

そしてこの辺りに小城昭和館があったようです。
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※佐賀・小城・多久の今昔より

ちなみに昭和館の写真がありました。
説明によると、昭和49年頃の写真で、
翌年の昭和50年に閉館したとなっています。
最後は成人映画館となっていたのでしょうか。
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もしかしたら、車が停まっている辺りに映画館があったのかもしれません。
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念のために”はらだ”から奥に入ると、小城市歴史資料館がありました。
訪問時には思いつきませんでしたが、
ここで調べたらわかったのか?
15
その脇の通りも歩きましたが、映画館の痕跡は確認できませんでした。
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通りに戻り、先に進みます。
この辺りは道路拡張が進んでいて、建物も新しくなっています。
この付近に、小城巡映があったようです。
18
もしかしたらここが小城巡映かもしれない、
と思いましたが、どうもローカルスーパーの跡のようです。
この付近は、道路拡張が進んでいるので、
もはや建物は残ってないと思われます。
19
その先は道路拡張が完了して、広々としています。
小城東映は、この付近にあったようです。
20a
赤い看板の、あいかわ薬局と、
その手前の建物が映画館だったそうです。
どんな映画館だったのかは、想像するしかありません。
21
この先が、国道203号線と交わる交差点となります。
最近出来た、マクドナルドがあります。
小城の景観に配慮した、茶色の建物となっています。
22
かつてはちょっと変則的な交差点でしたが、
道路拡張により、広くて非常にすっきりとした
交差点に生まれ変わっていました。

小城駅から国道203までのメインストリートは、
映画館があった頃からすっかり様変わりしていると思われるので、
さすがに映画館の痕跡は、確認できませんでした。

しかしこの通りに3館も映画館が存在していて、
一館は、85年頃まであったとは知りませんでした。

当時知っていたら、映画を観に行ったのかと言えば、
行くことはなかったでしょう。

無くなってしまって有難みを知る、
みたいなものでしょうか。


映画館と観客の文化史 (中公新書)
加藤幹郎
中央公論新社
2014-07-11

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