SAGA佐賀マニア~佐賀のマニアックな情報発掘

佐賀の歴史スポットや気になるお店、街歩きネタを発信しています。

2018年01月

数年前まで、県立博物館の入り口に展示してあった、
鉄製の大砲が、いつの間にか無くなっていたと思ったら、

佐賀城本丸歴史館の庭に展示してありました。

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佐賀城の鯱の門をくぐると、目の前に鎮座しています。

博物館前に展示されていた時には、こんな砲座には乗ってなくて、
砲身も錆びて赤くなっていましたが、

現在は、黒く塗られて実際に配備されていた時と同じような、
砲座に乗せられています。


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24ポンドカノン砲の説明板です。

フェートン号事件、アヘン戦争に危機感を持った佐賀藩は、
短期間の内に鉄製大砲の鋳造に成功しています。


NHKの大河ドラマ”西郷どん”で話題の薩摩の島津斉彬も同様に危機感を持って、
反射炉の建設を行うなど、開明的な人物として有名ですね。


そして幕府からの注文で製造した大砲を、
江戸のお台場に設置しすることになりました。


今でこそお台場は、お台場海浜公園として、
東京の観光地と化していますが、


お台場の台場とは、砲台の事だと知っている人は、
どれくらいいるのでしょうか?


ちなみに24ポンドカノン砲の24ポンドとは、
砲弾の重さの事で、24ポンドは約10キログラムほどです。


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この大砲は、佐賀藩が鋳造したものでは無く、
1820年頃アメリカで製造された物の輸入品だそうです。


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この大砲は、前装式の大砲なので砲尾は開きません。

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このハンドルを回して、上下の調整をするようになっています。

砲身尾部の上には、小さな穴が開いていて点火するための火薬を盛るために、
少しへこんでいます。



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本丸歴史館の入り口前にも、貴重な大砲が3門展示されています。


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これが、アームストロング砲(レプリカ)です。

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こちらは、砲弾を後ろから込める後装式で、
砲身内部には、砲弾を回転させるための螺旋状の溝
(線状痕・ライフリング)が彫ってあります。

これにより砲弾が回転して飛ぶので、命中精度が格段によくなります。

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アームストロング砲の説明板です。

この大砲は、当時の最先端の技術が使われた大砲で、
砲身を作るのにも、筒を3段階ほど重ねたり、

先ほどの線状痕を彫るなど24ポンドカノン砲とは、
比較にならない高度な技術を要します。

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見るからに24ポンド砲とは、次元の違う近代的さを感じます。

砲尾は、(半回転または4分の一回転?)させると開くようになっていて、
砲弾(丸ではなく現在の砲弾と同じような形)と火薬(の袋)を込めて、
閉じます。

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そして、砲尾から突き出た棒状の信管(取り外せる)に点火薬を入れて、
雷管を叩くか、マッチのような摩擦で点火させる仕組みだと思われます。

アームストロング砲の欠点として、発射の圧力でこの信管が張り付いて、
抜けなく(にくく)なるといった問題があったようです。

いずれにしても、このアームストロング砲を作れたのは、
イギリス以外のヨーロッパでもごく一部の国しかなく、

アジアの一角でしかない佐賀で、これを独自に作ったという事は、
まさに驚愕に値します。



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そのアームストロング砲の傍らには、こんな小さな大砲が2門展示されています。
これは、モルチール砲という臼砲(きゅうほう)で、

臼(うす)に似ているから通称臼砲と呼ばれています。

この臼砲は、砲弾を放物線を描くように飛ばして、
城壁の向こう側や山や丘の反対側を攻撃するのに向いた大砲です。


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写真右側が、オランダ製となっています。

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左は、それを参考に(模倣)して佐賀で鋳造したらしい砲です。

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分厚い青銅製です。

砲弾は、前から込めます。

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見た目は小さいですが、重量は1.2トンもあるそうです。

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砲尾には、このような小さな穴が開いていて、
点火薬を盛ったり、導火線をさせるようになっています。

大砲マニアは、これらを見るだけで1時間くらいは過ごせるかもしれませんw

佐賀城本丸歴史館へお越しの際には、
ぜひこれらの大砲にも注目していただきたいです。










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近年佐賀県は、アニメやゲームの会社とコラボして、
知名度を上げようとする企画をいくつか立ち上げていますが、

またまたゲーム会社とのコラボ企画が立ち上がったようです。




その名も、




ストリートファイター佐賀!


SFS



ストリートファイターとは、
大手ゲームメーカーカプコンの大ヒット格闘ゲームで、
90年代一世を風靡しました。


そのストリートファイターⅡに出てくる各キャラクター名を冠した、
佐賀の名産品を販売するようです。


詳しくは、公式サイトを見てください。


ちなみに公式サイトは、
アーケードゲーム”ストリートファイターⅡ”の
ゲーム画面そのまま(に近い)構成になっていて、


非常に凝っています。


この企画にかける意気込みが伝わるサイトとなっていますので、
ぜひご覧ください。


ストリートファイター佐賀公式サイト


このように佐賀県は、低い知名度と地味なイメージ脱却のため、
涙ぐましい努力を続けています。



そんな佐賀県が、とんでもない大風呂敷を広げたことがあります。



それは・・・・





アジアのハリウッド構想!




これは、全国から映画製作者を集めたり、
新たにクリエイターを育てたりして佐賀発の映画を制作する事や、

映画のロケを誘致して、佐賀をハリウッドのような映画の都にしよう・・

という壮大な構想です。




本当にやる気なのか?

本当に出来るのか?



もし何か関われる事があるならやらせてもらいたいと思って、
研修会に参加しました。


研修会は、2006年から2007年にかけて数回行われたようです。
私も2回ほど研修会に参加させていただきました。


最初に参加したのが、


2006年11月26日の

第一回ディレクター育成研修
「映画製作の現場から」

というもので、

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講師に、映画プロデューサー・監督の奥山和由氏、
ゲストに女優の白石美帆氏を迎えて、

佐嘉神社記念館の大広間で行われました。

ここでの研修内容は、奥山氏がプロデュース・監督した映画の
制作過程や裏話を中心に、

現場の人間関係の難しさや、いかにして資金を調達するかの話など、
非常に興味深く映画ファンなら聞き入ってしまう面白い話が、
どんどん飛び出して、
映画製作の魅力や困難さを知る事ができたのを覚えています。


特に「その男凶暴につき」で、今や世界のキタノとなった、
北野武監督が誕生した裏話は、たけしがマルチな才能を発揮した話として、
思わず聞き入る貴重な話でした。

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次にゲストに来ていた白石氏が、奥山氏プロデュースの映画で、

自身が主演した”ベルナのしっぽ”の撮影秘話と、
映画の宣伝をしていましたが、

さすがに女優だけあって、
近くで見ると美しくオーラも出ていました。

その後参加者に、鑑賞券を配って研修会は終了となります。

結局この映画は観ることはありませんでした。



その後、第二回・三回と研修会は続いたようですが、
場所と時間が合わずに参加していません。


そして、2007年2月10日の第四回目の研修会。

「ディレクター養成研修」

に参加しました。

場所は、ホテルニューオータニ佐賀です。
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この時は、映像メディアの第一線で活躍している
4名の講師を迎えての研修でした。


神田敏明氏は、当時ブレイクし始めたYoutubeの現状と今後の予想など、
動画配信の可能性についての話が中心でしたが、

ブログやホームページのコンテンツ制作や、
動画撮影などに関する造詣が深く、
話も非常に面白かったという印象です。

そう言えば、2006~7年頃はSNSと言えば、
MIXIミクシィが中心じゃなかったかと思われます。

と言うか、ミクシィしかありませんでした。

マイミクとか言ってましたねw

あれだけ流行っていたのに、今ではほぼ消滅するとは、
ウェブメディアの流行り廃りの激しさを感じずにはいられません。


ちなみにツイッターとフェイスブックが普及するのは、
2009年頃からです。

そのフェイスブックもインスタに押されています。

グーグルプラスとかTSU(スー)とかありましたが、
消えたかパッとしないですね。


今は、インスタグラムとlineが幅を利かせていますが、
これらも将来は、どうなるかわかりませんね。


神田氏以外の3人は、主にウェブやコンテンツ制作に関する
技術的な話だったと思います。


全体的に興味深くて面白い話が聞けて満足はできました。


研修会に参加して思ったのは、
映像業界で活躍している第一人者の話を聞くのは、
面白いし参考にはなっても、


佐賀県として何をどうしたいのかの具体的な議案が無くて、
この先本当にハリウッド構想が実現するのかどうか疑問に思えました。


その後、さらに研修会があったのかはわかりませんが、
結局自然消滅してしまったようです。


そう言えば、何年か前から佐賀がタイのドラマのロケ地になり、
何度か撮影が行われていますが、

これはまた別の流れでタイと繋がりができたので、
これはこれで良かったのかも知れませんね。


今思えば、そんなハリウッドなどという大風呂敷を広げなくても、
昭和の映画街を再現する構想とか言って、


呉服町のアーケードから松原にかけて映画の街を作るくらいの事を
しておけばよかったような気がします。


まぁこれは、
映画評論家の西村雄一郎氏も言っていた構想ですけどね。


映画に関する残念な企画倒れは、
まだありますので追々書こうかと思います。




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昭和51年(1976年)2月16日の西日本新聞が出てきましたので、
当時の佐賀の記事を紹介します。
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まず一見して、分かるのはその字の小ささです。

たしか2段階に渡って、字が大きくなったと思いますが、
この頃の新聞は、とにかく字が小さいです。

今の新聞の半分くらいの大きさしかありません。
これは目に悪いです。

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当時は、ロッキード事件が新聞・テレビを賑わせていて、
国会では、毎日証人喚問が行われていました。

この時期は、ロッキード事件一色と言った様相を呈しています。
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佐賀県版を見ると、マラソンのニュースが大きく取り上げられています。
唐津10マイルロードレースだそうです。
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注目すべきは、映画案内です。

佐賀市内にまだまだ多くの映画館があった頃です。

以前は、この新聞の映画案内で時間を確認してから
映画館に行っていたものです。

松竹では、高倉健主演の”君よ憤怒の河を渡れ”が公開中ですが、
偶然にも現在ジョン・ウー監督、福山雅治主演でリメイクされた、
”マンハント”が公開中です。

日活、朝日館は、ポルノ映画ですが、日活が3本立て、
朝日館が、なんと4本立てとなっていますw

4本立てを観ると、1日映画館で過ごすことになりますが、
さすがにポルノ映画4本観るのもキツいような気がしますが、
どうだったのでしょうか。
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有楽オスカーは、たしか松原神社の参道の入り口から道を隔てた辺りに
あったような気がします。

※コメントからのご指摘によりここはグランドだったようです。

今の庄屋がある所の東側?ではなかったかと思いますが、
記憶が定かではありません。

この頃は、ポルノ映画館だったようです。

後に封切館で公開が終わった映画を3本立てとかで上映していました。


有楽では、あのスピルバーグジョーズが上映中です。
20日までとなっていますので、その後は2本立てとなるはずです。

この頃は、2本立て3本立てが普通でしたので、
観たい映画は2本立てになってから観に行ったものです。


と言っても、この頃はまだ小さかったので、
親に連れて行ってもらってました。


自分で2本立てとか3本立てを観に行くようになるのは、
数年後からですがw

映画館のシートも今のように座りやすさが追及されている物では無かったので、
3本立ては、さすがにお尻が痛くなったりして疲れましたが。
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唐津にも3館あったようです。

中央大劇では、

近年亡くなられた、シルビアクリステルの一世を風靡した映画、
エマニエル婦人の続編が公開中です。

エマニエル婦人は、テレビで宣伝しまくっていたので、
年頃の男子は、もう見たくて見たくてたまらなかったハズ。


唐津大劇では、岩城滉一主演のアクション映画と松方弘樹、梅宮辰夫の
ヤクザ映画らしきものとトラック野郎シリーズが公開中です。


新世界では、日活ロマンポルノでしょうか。

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伊万里にも2館ありますね。


国際では、邦画アクション3本立て、
国際第2では、ポルノ3本立てとなっています。


伊万里にも現在映画館は、ありません。


すでにこの頃は、映画館の数は最盛期と比べるとだいぶ減っていると、
思われます。






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昭和51年(1976年)は、佐賀国体が開催された年です。
開催へ向けての関連の記事も定期的に掲載されていたのでしょう。
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次にテレビ欄です。
STSサガテレビの欄を中心に見てみます。

朝は、7時30分から始まってます。

朝は、ポンキッキやピンポンパンなど子供に人気の番組に続いて、

ワイドショーの草分け的番組、小川宏ショーが始まります。

昼は、ニュースのあとワイドショーがあって、
その後、短い映画(連ドラ)が続きます。

3時からは、3時のあなたです。

4時からは、アニメの再放送枠でした。

ガッチャマン、アタックナンバー1の再放送と続きます。
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夕方は、5時からピンポンパンの再放送がありますね。

6時からは巨人の星をやっていたようです。

7時からは、名犬ラッシーです。
これは毎週見ていた記憶があります。

7時30分のクイズとは、クイズグランプリの事でしょう。

その後スター千一夜が続きます。

この2番組は、ずいぶん長い間続いていたと思います。

9時からは、たぬき先生奮闘記というドラマが始まります。

これは、全く記憶にありません。

坂上二郎、西川峰子、マッハ文朱、
山本リンダ、杉田かおるという、顔ぶれです。

坂上二郎は、亡くなりましたが他の人は、
今でも活躍されていますね。

息の長さがスゴイです。
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9時からは、痛快!河内山宗像という時代劇らしきドラマが、
始まります。

あの勝新太郎、原田芳雄が出ています。

11時台は、今とほぼ同じようなニュース、スポーツ、
報道番組が並んでいます。

そして0時25分から、
FBI連邦警察と言うおそらくアメリカのドラマが、
放送されて終了です。


テレビ欄を見ていると、学校から帰って夕方アニメを見ていた事、
夜、家族でニュースやバラエティなどを見ていた事を思い出します。

昔の新聞には、当時の世相や流行り物などが記録されていて、
非常に興味深く、つい読みふけってしまいました。

しかしこの字の小ささには、閉口してしまします。





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「いや~映画ってホントにいいものですね~」

で、おなじみだった映画解説者の水野晴朗さんが、
佐賀に来たことがあります。

2003年6月11日の事です。


当時水野さんは、自身が監督・主演の映画、


「シベリア超特急3」

の全国行脚キャンペーンをやっていて、

アシスタントのぼんちゃんと一緒にセントラル会館へ現れたのです。

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そのセントラル会館もすでに2007年に閉館しています。
ビル自体も老朽化が進んでいる感じです。


ところで、シベリア超特急と言えば、


水野さんが長年の夢だった映画製作を実現した事で話題になりましたが、
(ちなみに最初のシベリア超特急は1996年公開です)

そのあまりにぶっ飛んだ内容と、チープな映像と、
水野さん演じる主演の山下大将のド素人演技やラストのどんでん返しなどなど、

トンデモ映画として(ある意味)映画史に残る迷作と化しています。

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上映の前に、水野さんとぼんちゃんが全国行脚や映画の裏話をしてくれました。


この時、水野さんが例の名調子で自分の映画を解説するのが見事で、
この解説を生で聞けただけでも満足でした。


そして映画が始まりましたが、
はっきり言って映画の内容はほぼ覚えていませんw

でもそれはどうでもいいんです。

水野さんに会って、解説を聞ければ映画はどうでもいいんです。
(すいませんそんなわけはないです)

ここに来ていた人も、みんな水野さんに会いたくて来ていたに違いないのです。


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映画が終わった後、しばらく待合室で談笑していました。
この時の印象は、

”本当に映画が好きで純粋な人だな~”

ここでも映画解説の話をされていましたが、
あのやわらかな口調で、話されているのを聞いていると、
幸せな気分になってきたことを思い出します。




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余談ですが、昔のTVのロードショーでは(今もある事はありますが)
水野さんはじめ何人かの映画解説者の解説がありました。


サヨナラサヨナラ・・でおなじみの日曜洋画劇場の淀川長治さんは、
独特の口調で、期待感を高めてくれました。


月曜ロードショーの荻正弘さんは、何か分析的な解説で、
思わず解説に引き込まれてしまいました。

そして一番好きだったのが、水曜(のちに金曜)ロードショーの
水野晴朗さんです。

あのにこやかな顔で、これから始まる映画を楽し気に語っているのを聞くのが、
楽しみで仕方なかったです。

結構マニアックな裏話もしてくれるので、
ある意味本編より解説が楽しみだったほどですw

そして終わってからの解説と次回予告のあとの決め台詞、

「いや~映画ってホントにいいものですね~」

を聞いてから寝てました。

やっぱりこれを聞かないと、終わった感じがしなかったですね。


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これは、その日に水野さんからもらったサインです。
写真は、自分で貼ったものです。


水野さんは、この後もシベリア超特急シリーズを作り続けて、
(5まで制作されてなんと舞台劇まである)

2008年に亡くなられました。

映画への情熱を生涯持ち続けた人生ですね。

生前お会いする事が出来たのは、大切な思い出となっています。

閉鎖されて、だんだん朽ちていくセントラル会館のビルを見ていたら、
この日の事を思い出してしまいました。




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2009-07-17









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1月9日と10日に行われた、
与賀神社の十日えびす祭に行ってきました。

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参道には出店が並んでいて、祭りの気分を盛り上げます。


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神社の側には、子供たちが描いたえびす様の絵が展示されていました。


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神社の境内は、大勢の人で賑わっています。

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日程表です。

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参拝する人の長い列が出来ています。

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特設ステージでは、太鼓の演奏が行われています。
なかなかの迫力でした。

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販売コーナーは、大盛況です。

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おこわや肉まん、いきなり団子が飛ぶように売れていきます。

お祭りの雰囲気に感覚がマヒして財布のひもが緩みまくりますw

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子どもも興奮しています。
子どもの頃に行ったお祭りの思い出は、一生モノですね。

こんな祭りを経験する事で心の中に地元愛が根付いていくものです。

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福引の景品交換所は、大混雑していました。

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やっぱりお祭りには、特有のワクワク感を感じます。

これは日本のいい文化の一つだと思います。
このような伝統は長く受け継がれて欲しいものです。





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