SAGA佐賀マニア~佐賀のマニアックな情報発掘

佐賀の歴史スポットや気になるお店、街歩きネタを発信しています。

2022年06月

現在長崎街道佐賀宿東の入口が、
牛嶋構口公園として整備されていますが、
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そこから西の方へ200メートルほどの所の、
紺屋川に掛かる思案橋の横で船着き場跡が見つかり、
このほど公園化整備が完了しています。
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奥に向かって東の入口(構口)となります。
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このように案内板も備えた小さな公園となっています。


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石垣や階段は、江戸時代の物とのことです。
当時はもっと水量が多かったらしくて、
ここから船で運ばれてきた物資が荷揚げされていたようです。
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設置されている案内板には船着き場や街道の様子が、
非常に詳しく説明されています。
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右が江戸時代、左が現代の地図です。
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案内板によると、思案橋を渡ってすぐの所には、
江戸時代から「橋口屋」という、
名物うどん屋があったそうですが、
戦時中の昭和18年8月に物資不足で閉店となってます。

うどん屋もできないほど物資が窮乏するとは、
どんな状況なのか?
ちょっと想像できないです。
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写真は昭和39年に撮影されているので、
その頃まで建物は、存在していたようです。

今SNSで広がるように、当時は旅人の口コミで、
佐賀宿に旨いうどんが食べられるうどん屋がある、
とか広まったのでしょうか。

おそらく写真が撮影された頃の長崎街道界隈は、
まだかなり江戸時代の景色が色濃く残っていたと思われます。
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この蔦屋は、昭和39年時点でも蔦屋商店として営業していたようです。

女性が引くリヤカーには、花が積んであるように見えますが、
どうでしょうか。
もしかしたらかごの中には子供がいるのでは?

こんな風に子供を連れて行商している人が
いた話を聞いたことがあります。

リヤカーを引く光景というのも今では見られないので、
貴重な記録写真です。
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これは発掘調査時の遺構の写真と遺構図です。
思案橋遺跡「荷揚げ場遺構」という名称になっています。
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このように、はっきりと石垣と石段が残っています。
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荷揚げ場のイメージ図です。
明治以降に3分の一ほど埋め立てられているようなので、
江戸時代には、今よりかなり川幅が広かった事がわかります。

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現在の紺屋川を見ると、とても船が行き来できるようには思えませんが、
当時は川幅が広く、水量も多かったという事ですね。
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この石段の側まで川幅があったようです。
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石垣は、本当によく残っています。
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ここからどんな物が荷揚げされていたのでしょうか。





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規模は小さいながら、ほぼ完全な形で残っている貴重な遺構です。
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この思案橋の付近には、遊郭があったらしいです。
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そんな遊郭を彷彿とさせる建物が近くにありました。
かなり古そうな建物ですが、江戸時代からあったのかは不明です。
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この牛嶋公民館の建物もかなり古そうです。
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佐賀宿は本当に大きくて、
東の端から西の端まで長さ6キロくらいあり、
見学しながら歩くと3時間くらいかかるほどです。
(丹念に見学すると4時間以上とかかかる)

この地図の範囲、東の入口構口から旧古賀銀行まででも、
江戸時代の街並みを再現できれば、
歴史的街並みとしての遺産となり、
かなりの観光名所にもなりそうだとは思いますが、
もう今からでは無理でしょうか。

むしろこれから取り組むことかもしれません。

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佐賀の映画館跡を訪ねるシリーズ。

今回は、小城の映画館跡を訪ねました。

小城は、小京都と呼ばれる、
歴史的な景観を残す街並みで知られていますが、
近年道路拡張など再開発が進んでいます。

小城には、小城東映・小城昭和館・小城巡映という、
3館の映画館があったとの事です。
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小城東映は1950年頃開館して、
1967~68年頃閉館しているようです。

小城昭和館は1953年3月に開館して、
1975年頃閉館しているようです。

そして小城巡映は1980年頃開館して、
1985年頃閉館しているという、
わずか5年ほどしか営業していない映画館だったようです。
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唐津線の小城駅です。
駅舎は、2015年に改築されてキレイですが、
古い駅舎のレトロな雰囲気を残しています。
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駅前ロータリーも整備されていて、
駅舎の前には歌人与謝野鉄幹・晶子夫妻の石碑が設置されています。
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駅の向かい側には、最近できたと思われる、
カフェやサブカル系?の食堂らしき店舗が営業していました。
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この郵便丸ポストは、かなり古そうですが現役です。
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現在は、基本無人駅になっているようです。
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ここにも駅ピアノが置いてあります。
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名所案内の看板の絵は、近くの小城高校の生徒が描いたようです。
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映画館は、駅前のメインストリートを北に向かって、
点々と存在していたらしいです。

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このメインストリートは、道路拡張が進んでいて、
古い建物は、徐々に撤去されています。
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やはりと言うか、シャッターが降りた店舗が多いです。
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このように、一部古い店舗も残ってはいます。
右の店舗は、今も営業しているようです。
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かつては商店街に必ずあった個人商店。
ここも営業はしてないと思ったら、
から揚げ屋として営業しているらしいです。

そしてこの辺りに小城昭和館があったようです。
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※佐賀・小城・多久の今昔より

ちなみに昭和館の写真がありました。
説明によると、昭和49年頃の写真で、
翌年の昭和50年に閉館したとなっています。
最後は成人映画館となっていたのでしょうか。
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もしかしたら、車が停まっている辺りに映画館があったのかもしれません。
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念のために”はらだ”から奥に入ると、小城市歴史資料館がありました。
訪問時には思いつきませんでしたが、
ここで調べたらわかったのか?
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その脇の通りも歩きましたが、映画館の痕跡は確認できませんでした。
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通りに戻り、先に進みます。
この辺りは道路拡張が進んでいて、建物も新しくなっています。
この付近に、小城巡映があったようです。
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もしかしたらここが小城巡映かもしれない、
と思いましたが、どうもローカルスーパーの跡のようです。
この付近は、道路拡張が進んでいるので、
もはや建物は残ってないと思われます。
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その先は道路拡張が完了して、広々としています。
小城東映は、この付近にあったようです。
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赤い看板の、あいかわ薬局と、
その手前の建物が映画館だったそうです。
どんな映画館だったのかは、想像するしかありません。
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この先が、国道203号線と交わる交差点となります。
最近出来た、マクドナルドがあります。
小城の景観に配慮した、茶色の建物となっています。
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かつてはちょっと変則的な交差点でしたが、
道路拡張により、広くて非常にすっきりとした
交差点に生まれ変わっていました。

小城駅から国道203までのメインストリートは、
映画館があった頃からすっかり様変わりしていると思われるので、
さすがに映画館の痕跡は、確認できませんでした。

しかしこの通りに3館も映画館が存在していて、
一館は、85年頃まであったとは知りませんでした。

当時知っていたら、映画を観に行ったのかと言えば、
行くことはなかったでしょう。

無くなってしまって有難みを知る、
みたいなものでしょうか。


映画館と観客の文化史 (中公新書)
加藤幹郎
中央公論新社
2014-07-11

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佐賀の映画館跡を訪ねるシリーズ。
今回は、小城市牛津町の映画館跡を調べました。

牛津には2館の映画館があったようです。
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牛津東映と牛津ロマン映画劇場
です。

まずは1館目の映画館です。
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このレンガ造りのような建物は、牛津駅です。
2001年にリニューアルされているようです。
初めてこの駅に来ましたが、立派な駅舎に驚きました。
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最近無人化されたそうです。
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駅舎の中は、まるで美術館かギャラリーのようです。
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最近流行りの駅ピアノが置いてあります。
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昭和の牛津の町の写真がいくつも展示されていました。
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昭和40年代の中心街のようです。
映画館が写っている写真はありませんでした。
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長崎街道の宿場町だった頃を彷彿とさせるような写真です。
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昭和40年代には、バイクが写ってなければ江戸時代かと思わせるような、
光景が残っていたようです。
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こんな来訪者ノートが置かれていました。
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通学で利用している高校生が書いたと思われる言葉が、
書き殴られていました。
こんなところに本音が書かれていたりするものです。
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人生はただ楽しめればいい。
直感を信じろ。

この二つは、高校生ではなくてこれを読んだ
いわゆるオトナが書いたものでしょう。
まあ、ある意味その通りだったりするんですけどね。

身近なところに楽しみがあったりするものです。

佐賀の映画館跡を訪ねるとか言って、
県内の町を歩き回ったり、昭和の団地を調査したり・・

これが楽しいとか高校生では”なんじゃそりゃ?”の世界でしょう。

index
駅にあったチラシです。
牛津発のこんな歴史映画が撮られていたようです。

今川了俊とは、あの今川義元の祖先で、
南北朝の動乱期に南朝側の菊池氏を斃すために、
幕府から九州探題に任命されて九州に赴き、
最終的に南朝方を降伏させ、
九州を平定した武将とのことです。

その九州探題が、牛津におかれていたようです。
知りませんでした。
これはちょっと観てみたいです。

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駅に隣接して、往時の牛津宿の様子が描かれた
大きなパネルがあるステージがあります。
ここでイベントなどが行われるのでしょう。
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この説明板によると、長崎街道の中でも大きな宿場町だった事がわかります。

そして牛津東映は、この駅のすぐ近くにあったようです。
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映画館が存在していたのは、1964~65年までだったらしいので、
様変わりしていると思われる駅前には、跡地の痕跡は残っていません。
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右のほうに見える古い家屋は、
映画館があった頃には存在していたと思われます。
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何かの店舗だったようです。
他には古い家屋は、ほとんど残っていませんでした。



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ここから歩いて、もう一館の牛津ロマン劇場跡へ向かいます。
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長崎本線の踏切を渡ります。
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これは英語塾でしょうか。
ENGLISH”I”が外れているのはマズいですね。
すでに営業していなかったらスミマセン。
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その先には、スーパーや100均などが集まったショッピングセンターが、
ありました。
今やどこでも買い物はこんな所に行くのが普通になったので、
中心街の商店はシャッターが下りているところが多いですね。
ここ牛津も例外ではありません。
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その近くにあったレンガ造りの建物。
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牛津赤レンガ館という登録有形文化財でした。
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これは百貨店”玉屋”を創業した田中丸家の屋敷とのことです。
文化三年(1806年)に田中丸善蔵がここ牛津に、
田中丸商店として創業したのが始まりだったそうです。
ここが玉屋の発祥の地とは、知りませんでした。
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これは個人商店の跡ですね。
こんな店に駄菓子とか買いに行った頃を思い出します。
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やたらと石仏が並んでいます。
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こんな立派なものまであります。
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牛津には文化財になっている石仏が多くあるようです。
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これは牛津高校の正門です。
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ここには、高札場という住民向けのお触書きが、
掲示されていた場所だったそうです。
どんな内容だったのか知りたいものです。
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もう一館の映画館である牛津ロマン映画劇場は、
この付近にあったようですが、
1966年~68年頃には閉館しているらしいです。
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交差点付近の様子は、当時とだいぶ変わっていると思われます。
もしかしたらこの駐車場に映画館があったのかもしれません。
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ちなみに交差点の角には、
あのカルチャー焼きのオックスフォードさんがあります。
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駐車場の端にある甲子園饅頭が気になります。
だいぶ昔からあるような雰囲気ですが、牛津の名物饅頭でしょうか。
この日は閉まっていました。
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その隣にあるスポーツ店も閉まっていますが、
建物は古そうです。
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奥行きもあり、
なんとなく元映画館に見えなくもないです。
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その隣には、ここもシャッターが降りていますが、
昔から営業していたと思われる村岡屋があります。
しかしすでに閉店しているのかもしれません。
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いかにも60年代風の建物です。
映画館があった頃から存在していたのでしょうか?

60年代に映画館があった頃は、
この交差点付近は店舗が密集していて、
かなりの賑わいを見せていたことでしょう。

映画館の位置が特定できなくても、
街中を歩いているといろんな発見があるものです。


日本懐かし映画館大全
大屋 尚浩
辰巳出版
2021-06-01


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