佐賀の映画館跡を巡るシリーズ、
今回は武雄の映画館跡に行ってきました。
武雄には、
武雄日活銀映劇場・武雄大洋・富士館・武雄東映
(いずれも最後の名称)
の4館の映画館があったようです。
武雄温泉駅は、
ご存じのように9月より西九州新幹線が開通したので、
ついでに新幹線ホームまで入場券で入って、
どんなものか見てみる事にします。
ちょうど新幹線が停車していました。
手前には、ホームドアがあります。
さすが新幹線だけに、
車内も先進的な造りになっています。
この後発車していきましたが、
やっぱり実物を見ると、ちょっと乗ってみたくなります。
これが佐賀駅経由で新鳥栖まで繋がる日が来るのでしょうか。
しかし武雄駅とその周辺は、
再開発が進んで以前の面影がまったくありません。
道路が拡張されて、多くの店舗が無くなっているようです。このファミリーマートは、景観を意識した?建物になっています。
昔から続いていそうな店舗も残ってはいます。
甘党の店三喜堂
おはぎ、ふみ餅、回転焼です。
こんなのが割と好きなのでちょっと気になりました。
武雄日活銀映劇場はこの近くにあったようです。
この建物付近にある駐車場のようです。おそらくここではないかと思われます。
全く痕跡は残っていません。
武雄日活銀映劇場は、
1970年以後1973年以前に閉館しているとの事です。
その先のヤマハ音楽教室の隣のビルが、
武雄大洋だったと思われる場所です。
現在は、雑居ビルになっています。
武雄大洋は、1995年以後1998年以前に閉館と、
比較的最近まで存在していたようです。
と言っても、閉館して25年ほど経ってはいますが。
次に残りの2館の跡地へ向かいます。
ここからすぐ近くにあるはずです。
途中に小さな神社があったので、
何気に立ち寄って見ると、
神社の由来の説明の右側に、
懐かしの武雄のまちなみという地図が載っています。
なんと昭和39年の地図です。
という事は映画館も存在していた頃なので、
確認してみました。
すると、ちゃんと載ってました。
武雄日活と武雄大洋です。
武雄日活の隣は、今も営業している”橋口米屋”があります。
武雄大洋の隣は、佐賀銀行があったようです。
こちらには、これから訪ねる富士館と武雄東映が載っています。
何気に立ち寄った小さな神社で、
思いがけなく場所が判明する事になりました。
場所が分かったところで、確認に向かいます。思いがけなく場所が判明する事になりました。
この京都屋の駐車場が、富士館があった場所です。
痕跡はまったくありません。
富士館は、例によって1966年以前に閉館となっています。
その隣にあるコンクリートの建物は、
かなり古そうです。
ここが地図にある歯科医院だったのでしょうか。
その隣の駐車場が、武雄東映跡です。
かなり広い駐車場ですが、映画館はどれくらいの大きさっだのか?
武雄東映は1969年以前に閉館となっているようです。駐車場の向かいの家は、
映画館があった頃から存在していたことでしょう。
この辺りは、旧長崎街道のルートとなっていたようなので、
ちょっと散策してみます。
鍵型道路と言って、わざと曲がり角を作っています。
佐賀宿の鋸型と同じく攻め手の勢いを削ぐ目的のようです。
この辺は、なんとなく往時の面影が残っているようです。しかし閉店している店舗も多く見られます。
ここは何の店舗だったのか?
ここも大分前に閉店しているようです。ここも閉店している商店かと思ったら、
板金屋だったようです。
ここは色が落ちて、アートのようになっています。
歓楽街へ出てきました。
いわゆる風俗店の看板がいくつか見られます。
武雄で一番有名な楼門です。
ここには温泉もあり、観光客がかなり多く訪れていました。
所々に長崎街道の説明板が設置してありました。
宮本武蔵が使ったと言う井戸があるようです。
この辺りは、景観を意識した通りになっています。ここはイベントなどをやるための広場でしょうか。
明治期のポストを模したレトロポストです。
この辺りも街道の雰囲気が残っています。曲がり角に説明板がありました。
ここも鍵型道路でした。
その先には、昭和の家屋が割と残っているようです。
更にその先に進むと、
再開発された地区の広い道路と繋がっていました。
楼門付近は、
思ったより観光客が多く賑わいを見せていましたが、
そこを離れると、
ちょっと寂しい雰囲気なのは否めませんでした。
それでも駅とその周辺の激変ぶりには驚きました。
やはり新幹線が来ると、
急速に街は変わって来るのかもしれません。