現在長崎街道佐賀宿東の入口が、
牛嶋構口公園として整備されていますが、
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そこから西の方へ200メートルほどの所の、
紺屋川に掛かる思案橋の横で船着き場跡が見つかり、
このほど公園化整備が完了しています。
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奥に向かって東の入口(構口)となります。
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このように案内板も備えた小さな公園となっています。


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石垣や階段は、江戸時代の物とのことです。
当時はもっと水量が多かったらしくて、
ここから船で運ばれてきた物資が荷揚げされていたようです。
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設置されている案内板には船着き場や街道の様子が、
非常に詳しく説明されています。
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右が江戸時代、左が現代の地図です。
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案内板によると、思案橋を渡ってすぐの所には、
江戸時代から「橋口屋」という、
名物うどん屋があったそうですが、
戦時中の昭和18年8月に物資不足で閉店となってます。

うどん屋もできないほど物資が窮乏するとは、
どんな状況なのか?
ちょっと想像できないです。
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写真は昭和39年に撮影されているので、
その頃まで建物は、存在していたようです。

今SNSで広がるように、当時は旅人の口コミで、
佐賀宿に旨いうどんが食べられるうどん屋がある、
とか広まったのでしょうか。

おそらく写真が撮影された頃の長崎街道界隈は、
まだかなり江戸時代の景色が色濃く残っていたと思われます。
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この蔦屋は、昭和39年時点でも蔦屋商店として営業していたようです。

女性が引くリヤカーには、花が積んであるように見えますが、
どうでしょうか。
もしかしたらかごの中には子供がいるのでは?

こんな風に子供を連れて行商している人が
いた話を聞いたことがあります。

リヤカーを引く光景というのも今では見られないので、
貴重な記録写真です。
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これは発掘調査時の遺構の写真と遺構図です。
思案橋遺跡「荷揚げ場遺構」という名称になっています。
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このように、はっきりと石垣と石段が残っています。
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荷揚げ場のイメージ図です。
明治以降に3分の一ほど埋め立てられているようなので、
江戸時代には、今よりかなり川幅が広かった事がわかります。

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現在の紺屋川を見ると、とても船が行き来できるようには思えませんが、
当時は川幅が広く、水量も多かったという事ですね。
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この石段の側まで川幅があったようです。
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石垣は、本当によく残っています。
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ここからどんな物が荷揚げされていたのでしょうか。





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規模は小さいながら、ほぼ完全な形で残っている貴重な遺構です。
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この思案橋の付近には、遊郭があったらしいです。
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そんな遊郭を彷彿とさせる建物が近くにありました。
かなり古そうな建物ですが、江戸時代からあったのかは不明です。
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この牛嶋公民館の建物もかなり古そうです。
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佐賀宿は本当に大きくて、
東の端から西の端まで長さ6キロくらいあり、
見学しながら歩くと3時間くらいかかるほどです。
(丹念に見学すると4時間以上とかかかる)

この地図の範囲、東の入口構口から旧古賀銀行まででも、
江戸時代の街並みを再現できれば、
歴史的街並みとしての遺産となり、
かなりの観光名所にもなりそうだとは思いますが、
もう今からでは無理でしょうか。

むしろこれから取り組むことかもしれません。

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