SAGA佐賀マニア~佐賀のマニアックな情報発掘

佐賀の歴史スポットや気になるお店、街歩きネタを発信しています。

カテゴリ: 映画館跡地

映画館跡を訪ねながら、街歩きするシリーズ、
今回は大町町です。

大町町には、以下のような映画館が存在していたようです。

●大福座
所在地 : 佐賀県杵島郡大町村(1936年)
開館年 : 1930年以後1936年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前

●大黒館
所在地 : 佐賀県杵島郡大町村(1936年)
開館年 : 1930年以後1936年以前
閉館年 : 1936年以後1941年以前

●親和館
所在地 : 佐賀県杵島郡大町町2405(1941年)
開館年 : 1935年11月
閉館年 : 1965年頃

●大町東映/大町映画劇場
所在地 : 佐賀県杵島郡大町町福母(1960年・1963年)、佐賀県杵島郡大町町大字福母410(1966年・1968年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1968年頃

消えた映画館の記憶より

戦前に閉館した映画館が2館、
1965年から1968年にかけて閉館した映画館が2館となっています。
01
ここは大町町健康広場オリオンプラザです。
02
奥の建物は、大町町公民館です。
ここからスタートします。
03
すぐ向かい側には、小さな商店と住居がありますが、
住居の隣には稼働してないような自販機と、
ゴミが散らかっています。
04
商店はもう営業していないように見えます。
05
この先が商店街となっています。
06
ここは居酒屋だったようです。

入り口の暖簾の劣化具合から、
閉店して何年も経っているのが窺えます。
07
ここは閉まっていると思ったら、営業していました。
カフェ?ではなかったかと思います。
08
この空き地にも店舗があったのでしょうか。
09
商店街の中心部に入りましたが、
シャッターが降りている店舗が目立ちます。

ちなみにこの通りは、旧長崎街道です。
10
ここは元靴屋です。
11
ここは何のお店だったのでしょうか。
12
もちろん営業している店舗もありますが、
商店街の半分はシャッターが降りているような印象でした。
13
商店街の道路は、洒落たレンガ風になっています。
14
公衆トイレがある広場ありました。
イベントなどに使われているのかもしれません。
15
古い店舗跡もありました。
宿場町の名残を感じます。
16
このような街の電気店は、
どこでも営業している事が多いです。
17
商店街には人通りが少なく、
寂しい雰囲気ですが、

炭鉱が閉山する前は、大勢の人で賑わっていたそうです。
18
映画館ですが、この通りにあったようです。
19
この大町郵便局が大町東映だったそうです。
1968年閉館となっています。

駐車場まで含めると結構広い敷地なので、
そこそこ大きな映画館だったのかもしれません。
20
向かいにある元店舗兼住宅は空き家でした。
21
郵便局を裏から見たところです。
映画館はどんな建物だったのでしょうか。

戦前の2館と1965年まで存在していたという、
親和館という映画館の場所はわかりませんでした。
22
その先も散策してみます。
この通りは神社の参道でもあるようです。

左の写真館は営業していました。

現像・プリントの店は消えても、
写真館のように撮影の技術を持っている所は、
続いています。
23
商工会館の建物は古そうです。
映画館が営業している頃から存在していそうな雰囲気です。
24
参道の入り口の鳥居です。
25
店舗のほとんどは閉まっています。

レンガ造りっぽいオシャレな喫茶店も閉まっていて、
扉のガラスが割れています。

商店街はここまでで、
鳥居の向こうには、大町駅があります。
26
国道34号線を渡って大町駅へ行ってみます。
27
駅舎の大部分は、大町ふるさと館という店舗になっていました。29
佐賀のご当地アニメ”ゾンビランドサガ”のマンホールがありました。
28
隣にはSLが展示されています。
30

31
屋根は付いていますが、状態は悪いです。
32
とは言え、近くで細部を見る事が出来るSLはそんなに無いので、
貴重です。
35
歩道橋から見た34号線です。
大手企業の工場などもありますが、

商店街は非常に寂しいことになっていました。
車で10分か20分でショッピングモールへ行けるので、

商店街で買い物をする人は、
ほとんどいなくなっているようです。

これは今まで訪ねた街のほとんどに共通している事ですが、
やはり寂しさを感じてしまいます。


追記

コメントでいただいた情報により、
閉館後の親和館の写真が、

大町町のホームページに掲載されている事がわかりました。
shinwa
http://omachihasuike.web.fc2.com/Tourism.html

現在は解体されているようですが、
かなり大きな映画館だったことがわかります。

佐賀県各地の映画館跡を訪ねながら、
街歩きをするシリーズ。

と言っても、

今や映画館跡の建物などはほとんど残っていないので、
ほぼ街歩き記事となっています。
01
基山町は佐賀県東部に位置して、
福岡県と接する町です。

ここは通過した事はあるものの、
街歩きするのは初めてです。
02
江戸時代には、長崎街道の宿場町だったようです。
03
基山(きざん)にある草スキー場や、
つつじ寺で有名な、大興善寺があります。

また基山は、1350年前に築かれた
古代の城跡がある事でも知られています。

ここには、以下のような映画館がありました。
銀星
佐賀県三養基郡基山町(1961年・1962年・1963年)
開館年 : 1960年頃
閉館年 : 1963年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。
1961年・1962年・1963年の映画館名簿では「銀星」。
1964年の映画館名簿には掲載されていない。
消えた映画館の記憶より
https://hekikaicinema.memo.wiki/

銀星という映画館が、
1960年頃から1963年頃まで存在していたようです。


ちょうどテレビの普及期と重なったため、
わずか3年ほどで閉館となったのでしょう。
04
駅から延びる大きな交差点です。
ここから駅の方へ向かいます。
05
ここには、Aコープ基山店がありますが、
すでに閉店しています。
06
建物についていたマップに何か情報が無いか確認しましたが、
特にこれと言った情報は見つかりませんでした。
07
この建物がかなり古そうで、
大きさや看板など、元映画館に見えなくもありません。
08
近くに大きなスーパーが出来ているので、
閉店してしまったのでしょう。
09
Aコープの隣は農協の建物があり、
裏は広い駐車場となっています。
10
横断歩道を渡り、駅へ向かいます。
11
ここは地元のスーパーです。
12
道を隔てた向こう側には、
こじんまりとした、ショッピングモールがあります。
13
奥に見えるのが基山駅です。
14
そこそこ大きな駅です。
駅前は再開発で古い建物などは見当たりません。
15
基山の散策マップ
16
福岡へのアクセスがいいので、
駅の利用者も結構多いのかもしれません。
17
地元の工芸品が展示されているスペースです。
18
お笑い芸人”どぶろっく”の出身地が基山らしいです。
19
あのキングダムの作者も基山出身でした。
20
JR以外に、甘木鉄道の駅も併設されています。
基山は色々と利便性が高いようです。
21
駅を一通り確認した後、
旧街道沿いを歩いてみました。
22
意外とこのような旧家がいくつも残っていました。
24
ここから見ると、往時の雰囲気が良く残っています。
25
ここは元旅館だったのでしょうか。
26
ちょっと気になったのが、この建物です。
27
川崎屋という、元小さなスーパーらしき店舗跡です。

閉店してからかなりの年月が経っているように見えますが、

この建物がなんとなくその前は、
映画館だったのではないだろうかと思わせる外観です。

小さな映画館だった雰囲気があります。
28
その先も旧街道の面影が残っています。
29
ここも元旅館だったのかもしれません。
30
そのすぐ先は、橋があって、
大きな道路が通るアンダーパスになっています。
31
その先は左側にあったであろう建物は、
撤去されていて更地になっています。
32
さらにその先には、長崎街道の小さな案内板があり、
そこを曲がると、
33
このように古い建物が残っていました。
34
ここは江戸時代から存在しているような建物です。
34a
清酒基峰鶴キホウツルの看板がある事から、
酒蔵でしょうか。
35
銀星の場所は特定できませんでしたが、

駅前にあったとしたら、
再開発で建物も無くなっていると思われます。

あの川崎屋がちょっと怪しいですが、
どうなのでしょうか。

それにしても、
旧街道沿いに往時を思わせる古い建物が、
何軒も残っているのには驚きました。

保存整備すれば、
ちょっとした観光名所にもなりそうです。


佐賀県各地の映画館跡を訪ねながら、
街歩きをするシリーズ、

今回は、江北駅から長崎街道を歩いて、
小田宿の街並みを散策しました。
01
肥前山口駅から駅名が変わって、
江北駅となりました。
02
西九州新幹線が開業するまで、
JR最長片道切符のゴールの駅として、
鉄オタの間で知られていた駅です。
04
駅の隣にはオシャレな店舗が軒を連ねています。
05
向かい側には、閉店した昭和の店舗が目につきます。
06
駅前は、典型的なローカル駅前の雰囲気です。
07
この通りは、街道の雰囲気を残しています。
08
なかなかいい雰囲気の廃店舗です。
09
右は閉まっていますが、左はまだ営業しているようです。
10
長崎街道を歩いて、小田宿へ向かいます。
11
こんな真っすぐな道を2キロほど歩きます。
12
小田宿入り口の小田ショッピングセンター。
閉店して数年は経っているようです。
14
その向かいにある店舗も何年も前に閉店しているようです。
13
この先がメインストリートです。

15
小田宿の案内図がありました。
16
先ほどの江北駅(肥前山口駅)との位置関係です。
17
18
昭和45年に閉山された杵島炭鉱時代には、
かなりの賑わいを見せていたようです。
映画館もあったと書いてあります。

しかし残念ながら場所までは、書いてありません。

ここには以下のような映画館があったようです。

大和館

佐賀県杵島郡江北町(1953年・1955年)、
佐賀県杵島郡江北町上小田2247(1958年)、
佐賀県杵島郡江北町上小田(1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1964年頃
杵島東映
所在地 : 佐賀県杵島郡江北町上小田(1960年・1963年)、
佐賀県杵島郡江北町(1965年)
開館年 : 1959年7月11日
閉館年 : 1965年頃

1959年7月11日、杵島郡江北町上小田に「杵島東映」が開館した。
木造一部鉄筋造平屋建て。建坪560平方メートル。定員700人。
東映と大映の二番館。

消えた映画館の記憶より
https://hekikaicinema.memo.wiki/

いづれも1965年までに閉館しています。
1965年前後に閉館している映画館は本当に多いですね。
19
ここが中心街です。
しかしシャッターが降りている店舗が目につきます。
20
元薬屋
21
元肉屋
22
元雑貨屋
23
元食料品店
24
とにかく閉店している店舗が多いです。
25
炭鉱があった頃には多くの人で賑わっていたのでしょうか。
26
長崎街道の道標がありました。
27
放置された車が縦に並んでいます。
かなりの車好きの人だったようです。

映画館の名残があるかどうか、
街中を一通り歩いてみました。
29
この建物などは映画館のような雰囲気があります。

700人規模の映画館だと、
もしかしたらあのスーパーの場所だったのか?
28
閉館して60年近く経とうとしている現在、
建物が残っている事を期待するのも無理がありますが、

建物が無くなっていても、
当時の様子を想像しながら歩いていると、

寂れてはいても街の歴史を肌で感じる事が出来るのが、
街歩きの魅力です。

●追記(12月14日)

コメントを頂いた方からの情報により、
杵島東映の場所が判明しました。
SnapCrab_NoName_2023-12-14_10-6-6_No-00
この農業用倉庫のような大きな建物が、
杵島東映跡でした。
SnapCrab_NoName_2023-12-14_10-12-22_No-00
場所は、小田宿の中心からやや外れた所で、
長崎街道が旧道とバイパスに分かれている分岐点のちょっと先です。

今はもう解体されて存在していませんが、
グーグルマップには、まだ建物が写っていました。

ほんの数年前まで存在していたようです。
さらにこの江北町のあゆみを紹介した動画の、
3:33秒辺りに、杵島東映の姿が写っています。
Screenshot 2023-12-14 at 00-13-08 江北町のあゆみ ~町制60周年記念~
https://www.youtube.com/watch?v=VJnsXFWprEQ
これがその姿です。

これは映画館として建てられたと言うより、
農業用倉庫を改造して映画館にしたものに見えますが、
どうなのでしょうか。

いずれにしても、貴重な写真です。
発見していただきありがとうございました。



佐賀の映画館跡を訪ねるシリーズ、
今回は、伊万里市大川野という地区を訪ねました。

ここには、大川映劇/大川野映劇と言う映画館があったようです。


大川映劇/大川野映劇
1955年以前開館。1963年以後1966年以前閉館。
1963年の所在地は伊万里市大川町中ノ辻。
佐賀県の映画館 - 消えた映画館の記憶より
01
筑肥線大川野駅です。
立派な駅舎が建っています。

この前筑肥線で伊万里へ行ったときに通過しましたが、
ここへ来るのは初めてです。

02
一見古い駅舎に見えますが、
実は建て替えられていて資料館にもなっています。
04
大川野は、山本駅と伊万里駅のちょうど中間辺りです。
05
本数は、1時間から3時間に1本となっています。
03
周辺の見所を紹介したマップ。
06
近くの史跡を紹介した手作りのマップもあります。
09
地元の小学生が卒業記念に描いた絵です。
07
昔は近くに炭鉱があったようです。
昭和45年に閉山となっています。
08
昭和13年の風景です。
10
昭和初期の宮の瀬橋の写真との事です。

当時珍しい自動車が写っています。
近所の人たちが見に来ていますね。
11
昭和44年10月の、御召列車が通過した時の写真です。
12
13
ローカル駅特有の時間がゆっくり流れているかのような雰囲気が、
心地いいです。
14
駅を離れて、近くを散策してみます。
15
この辺りが中心街だと思われます。
これは、建設会社の建物です。
16
ここは飲食店だったようですが、
かなり前に閉店しています。
17
炭鉱があった頃は、賑やかな通りだったのでしょうか。
18
Aコープがありました。かなり大きな店舗です。
21
一応営業しているようにも見えましたが、
曜日や時間が限定されているようでした。
22
その向かい側には、JAの建物があります。

AコープとJAの間は、非常に広い駐車場となっています。

もしかしたらこの場所に、
かつて映画館があったのかもしれません。

せっかくなので、住宅地の方へも歩いてみます。
23
この辺りの住宅地は、空き家が目立ちます。
24
空き家になって何年も経つような家屋も結構あります。
25
向こうの住宅地にも行ってみます。
26
こちらも空き家が目立ちます。
27
向こうに見えている住宅のほとんどは、空き家です。
住人が少なくなったため、
あのAコープも半分閉店している状態になったのでしょうか。
28
駅方面に戻る途中にあった、たばこ屋も閉店しています。

このような小さな個人商店で、
まだ営業している所はほとんど見かけなくなりました。
30
駅前の通りです。
空き地が多いですが、もしかしたらこの通り沿いに、
映画館があったかもしれません。

場所は特定できませんでしたが、
かつて炭鉱があった頃は、
この通りにも商店が立ち並んでいたのでしょう。

なんとなく映画館があった頃の、
賑わっている様子が目に浮かぶようでした。

日本懐かし映画館大全
大屋 尚浩
辰巳出版
2021-06-01



佐賀の映画館跡を訪ねるシリーズ。
と言っても、映画館の建物はほとんど残ってないので、
ほぼ街歩きをしながら昭和の痕跡を確認するのが、
主な目的となっています。

今回は、唐津市相知町の映画館跡を訪ねながら、
街を散策してみました。

相知町には、相知座/相知映劇と言う映画館があったようです。
1955年以前開館。1963年以後1966年以前閉館。
1960年の所在地は東松浦郡相知町315。
1963年の所在地は東松浦郡相知町。
消えた映画館の記憶より
01
ここが唐津線・相知駅です。
02
駅付近の住宅地図です。
10
駅舎は、唐津線の駅の中では立派な建物です。
03
かなり大きく、隣にはキレイなトイレも併設されています。
04
駅舎の中は、広くて明るい空間となっています。
06
もうだいぶ前に、無人駅となっているようです。
05
列車の本数は、1時間に1~2本程度です。
08
ホームに出てみます。
07
大きな歩道橋があります。
ちなみに唐津線は、単線です。
09
しばらくホームにいましたが、
本数が少ないため列車は来ません。

また、利用する人も現れませんでした。

11
駅の外の一角には記念碑がありました。
12
村田英雄記念碑です。
ここ相知町は、村田英雄の出身地でした。
13
しばらく駅にいましたが、誰も来ませんでした。
駅舎内は憩いの場、外は公園化されていますが、
利用する人は少ないようです。
14
駅前の通りです。

かなり閑散としていますが、
ローカル線の駅前としては、こんなものでしょう。
15
この橋には、佐賀と唐津を結ぶ国道203号線が通っています。
つまり今いる通りは、旧道という事です。
16
この自動車屋の建物は、相当古そうです。
元は何だったのでしょうか。
17
この飲み屋の建物は、崩壊寸前です。
18
このJAの建物もかなり古い倉庫のようです。
19
ここも昔は商店だったのかもしれません。
20
バイパスが出来て、取り残されたような雰囲気が漂っています。
21
店舗の多くは閉まっていますが、
昭和の光景の名残は色濃く残っています。

今となっては、この景色が貴重です。
22
この”昭和タクシー”は、すでに何年も前から営業してないようです。
23
多くの店舗は、何年も前から閉店しているようです。
24
文化遺産級の家屋もちらほら見られます。
今ならリノベーションして、何らかの活用も出来そうです。
25
車の往来も人通りも非常に少なく、
バイパスが出来た後の旧道の典型的な状況がここに見られます。
26
曲面にタイルが貼ってある家屋が目に留まります。
もしかしたら昭和の個人医院だったのでしょうか。
27
その近くには、村田英雄記念館がありました。
28
このような記念館があるとは知りませんでした。

入ってみようかとも思いましたが、
ちょっと入りにくく、やめておきました。
年間どれほどの見学者が訪れるのでしょうか。

もしかしたらここが元映画館だったのかも?
と思いましたが、元銀行だったとの事です。


 
29
風景に溶け込んでいるような”昭和バスのりば”
35
この2つの建物などは、昭和初期かそれ以前から建っていそうです。
30
元映画館だった建物を探して歩いていましたが、
それと特定できるような建物は見つかりませんでした。

閉館になって50数年も経っているので、
すでに存在していないのかもしれません。

まあ、そんなところが大半です。
31
色褪せていますが、相知くんちのポスターです。

唐津くんちは有名ですが、
相知にも”相知くんち”があったとは、
知りませんでした。
32
この建物などは、明治時代、もしかしたら、
江戸時代から存在していたようにも見えます。
34
この建物も(片側半分が)映画館だった雰囲気が
無いことも無いですが、どうでしょうか。
33
旧道とバイパスの合流点です。
右側の旧道を歩いてきました。
37
旧道を駅の方へ戻る途中で、なんとなく脇道にそれてみます。
36
するとこのような説明板が立っていて、
読んでみると、通りと平行に街道が通っていたようです。
44
今立っている細い道が、佐賀と唐津を結ぶ旧佐賀街道の、
相知小路という事です。
38
これが説明にあった、大日如来様の石像と梵字の石碑です。
39
せっかくなので、旧街道を歩いてみます。
40
しばらく歩くとスーパーの駐車場に出ました。
41
その先にも街道が続いているかに見えましたが、
私有地の中に入って行くようなので、
先には進みませんでした。

映画館の跡は、分かりませんでしたが、

最近は街歩きをする事で偶然出会う、
こんな歴史スポット等を巡るという、

別の楽しみも出来ています。

今後は、今まで行ったことが無い、
小さな町にも足を延ばす予定です。

↑このページのトップヘ