SAGA佐賀マニア~佐賀のマニアックな情報発掘

佐賀の歴史スポットや気になるお店、街歩きネタを発信しています。

カテゴリ: 佐賀情報

つい先日、あの去年閉店した、
ア〇ルト自販機小屋”こっそり堂”の前を通りがかった時、



なんと”オープン”と言う文字が目に飛び込み、
慌てて停車。
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本当にオープンしているのか?
しかもアイテム増加!
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本日再開とはいつの事なのか?
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本当に再開したのか?
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閉店した自販機小屋が復活することなどあるのだろうか?
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中を確認してみます。
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本当に自販機が稼働しています。
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DVDよりおもちゃ系?が多い感じです。
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新札に対応させるのが難しいのが、
閉店する理由の一つだったハズ。

まだ新札が出てないので、
当然対応してないでしょう。

しばらくは旧札の方が多く流通しているから、
大丈夫という事でしょうか。
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奥の部屋にも入ってみます。
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まあ、変わりは無いですね。
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一番端の自販機は使われていませんでした。
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この空のケースは、買った人が中身だけ出して、
捨てていったものでしょうか。
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”こっそり堂”と言う看板が無い事から、

もしかしたら別の経営者に、
引き継がれたのかもしれません。

しかしいったん閉店した自販機小屋が復活するとは、
驚きました。

減る一方だと思っていたのに、
再開するとは・・

ここの売り上げが良かったのでしょうか。

それでもこの販売スタイルで、
いつまで営業できるのか?

ここは定期的に確認していこうと思います。

神崎宿から東へ向かったところに、
長崎街道唯一という一里塚が残っているというので、
確認してきました。

ついでに櫛田宮から一里塚まで歩きながら、
街道の様子も見ていきます。
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市街地を離れると、古い家屋がポツポツと残っています。
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景観の整備などは全く行われていないですが、
なんとなく街道の雰囲気が残っています。
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先に進んでいくと、こんなレンガの壁がありました。
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この奥にあった建物は無くなっています。
一体どんな建物があったのか?
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レンガの壁の隣には、こんな古い建物が残っています。
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この辺りも、街道らしい風景です。
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ここは何かの商店だったのだろうか?
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左側は閉店していますが、右側は今もやっている判店でした。

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いかにも昔からここで営業していそうな、菓子店です。
口コミによると、手ごろな価格の和菓子を多品目売っているようです。

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しかし歩いていると、主要な道路の役目を終え、
”取り残された雰囲気”が漂っているのを、
ひしひしと感じてしまいます。

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橋の上には、JRC(日本無線)の
監視装置らしきものが取り付けられています。
おそらく水位を監視していると思われます。

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三本松橋の三本松とは、
このすぐ近くにある一里塚の松?なのでしょうか。
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自動車整備工場かと思ったら、フィットネスジムでした。
最近ジムがあちこちに出来ていますね。
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左側に一里塚が見えてきました。
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ここが「ひのはしら一里塚」です。
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江戸時代初期に徳川家康の命により、
街道の一里毎に設置されたとの事で、
長崎街道に残っているのは、ここだけらしいです。

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高さ4メートルほどの小山で、
周りは石垣なっている堅固な作りです。
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階段で上に上ると、佐賀県遺産の認定証があり、
ここに”ひのはしら”の由来が書いてありました。

それによると、櫛田宮の緋色(赤色)の鳥居が立っていた事から、
”ひのはしら”と呼ばれるようになったとの事です。
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隣の祠から、仏像が見守っています。
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なかなか見晴らしはいいです。

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あらためて塚の周りを見てみます。
まるで城の石垣のようです。

しかしよく見ると、石の積み方に違いがあります。
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これは江戸時代初期の”切り込みハギ”と言う、
石の形を揃えて積み上げる手法のようですが、
この部分は、乱雑に積む”乱積み”で、
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ここはキレイに並べる”布積み”となっています。

なぜ途中で積み方を変えてあるのか?
積んだ担当者(地区)が変わったのか?
それとも何か強度的な問題が生じて変えたのか?

気になります。
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ここにはバス停と、見学者用のクルマ数台分の駐車場もあります。
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ここから先は、田んぼが広がっています。
江戸時代から変わらない光景かもしれません。

ひのはしら一里塚、地味ながら見所のある史跡でした。

松原の名物自転車屋”中川輪業”が、閉店してしまったようです。

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2021年10月撮影

店舗のガラスや自転車にベタベタ貼ってあった、
あの面白い張り紙(POP)が数年前から貼られなくなって
残念に思っていたら、ついに閉店していました。

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いつからあの張り紙を始めたのかは分かりませんが、
20数年前には、貼ってあった記憶があります。

1999年頃デジカメを持ち歩くようになって、
度々張り紙を撮ってきました。

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画像を整理していたら、
1999年から2000年代初頭くらいにかけて撮った、
オモシロPOPが出てきましたので、
ここに記録として残しておこうと思います。
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これは99年に撮った写真です。

レッツ宇多田ヒカル

宇多田ヒカルがブレイクした頃で、
やたらと宇多田ヒカルをネタにしたものが貼ってありました。

春の朝一人で歩くエベレスト

状況を想像するとかなり怖いですが、
これはエベレストで大量遭難した事件が元になっているのでしょうか?

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こんな気分イーアールサン!宇多田ヒカル

気分イーアルサン!に宇多田ヒカル。
とにかく宇多田ヒカルを語尾につけてました。
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春のカブト虫を歌いました宇多田ヒカル

どういう意味ですか?などと聞いちゃダメです。
思いつくままの言葉に宇多田ヒカルをくっつけてます。

写真は無いですが、

宇多田ヒカルください

というPOPを貼っていたところ、

一人の女子高生が店にやってきて、

「宇多田ヒカルは物じゃないから”ください”とか書かないで欲しい。

と抗議されたそうです。

※佐賀市のフリーペーパーにこのエピソードが載ってました。

これは実際にPOPの”ください”という部分に×が付けてあって、
”違います”とかコメントが入っているのを目撃したことがあるので、
本当の話でしょう。





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リップクイーン倉木麻衣
宇多田ヒカルとくれば、
双璧をなしていた倉木麻衣も忘れてはいません。

実は宇多田ヒカルください以外にも、
○○くださいシリーズがありました。

○○は、アイドルが多かったです。


たぶん最初は、”ヒロスエください”から始まったと思いますが、
確証はありません。

なぜこんな子を知っているのか?
というようなマニアックなアイドルで驚いたこともあります。

しかしなぜ”ください”なのか?

まったくの謎ですw

スパット安売り自転車ナカガワ

このように、安さを強調したPOPも多かったです。

IMG_2640

初春自転車

安か安か

ひねりもない安直なPOPも多かったですw

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思い出ボロボロ
歌謡曲の歌詞を思い出したのでしょうか。

安い自転車ください
もしかしたら、アイドルくださいシリーズの原点かも?

夏もメチャ激安
面白い言葉が思いつかないと、安いアピールに走るのでしょうか。
佐賀市は個人経営の自転車屋が多い事で知られていましたが、
経営者の高齢化と共にどんどん閉店していったようで、
現在大分減ってきています。

中川輪業もいつ閉店したのかわかりませんが、
ここのPOPには楽しませてもらいました。

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佐賀駅開業130周年という事で、
駅構内に展示されていた昔の写真を紹介します。
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まずは、旧駅舎です。
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正面のロータリーです。
懐かしのオート三輪が写っています。
タクシーの車種から昭和40年代半ば(以降)?ではないかと思われます。
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これは駅西側の国道263号線の踏切でしょうか。
SLが通過しようとしています。

おそらく昭和30年代半ば頃だと思われますが、
道幅も狭く、まだ未舗装です。

この踏切、朝はなかなか開かずに渋滞になっていたらしいです。

手前に写っているビクターのトラックには
大きなテレビが積まれていますが、
これからどこかの家庭に届けに行くのでしょうか?

”さくら”と言う大きな看板が見えますが、
何の店だったのか気になります。
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よく見るとD51が客車を引いているようです。
昭和30年代以前の撮影だと思われます。

前に機関士?が乗っていますが、
何かわざとらしくポーズを取っているようにも見えます。

駅に入って来る時、安全確認をしていたのでしょうか。
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これは新駅舎が完成して、開業直前か間もない頃の写真です。
新旧の駅舎が並んで写っているのは、珍しいかもしれません。
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昭和40年代前半頃だと思われる駅前ローターリーです。
タクシーの前にいるのは、マツダキャロルでしょうか。
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これは朝の通勤通学の時間帯ですね。

昭和40年代後半から新駅移転の年(昭和51年)
までに撮られたものだと思われます。






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新駅が開業して間もない頃でしょうか。
ロータリーの白線や地下道への入り口が真新しいです。
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旧佐賀駅のホームの端のようです。
どちらの端なのか?
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新駅移転のお知らせですが、
掲示板の4分の3くらいを占める大きさとなっています。
読んでいる人は、どんな思いだったのでしょうか。



2020年、年末の佐賀市内の様子を見に行こうと思って、
どこにしようか検討した結果、

以前歩いた、新道商店街がどうなっているのか気になったので、
新道商店街を再度歩いてきました。


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松原神社角の交差点です。

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交差点から新道商店街方向を見たところです。

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かつて市民会館があった所は、病院になっています。

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その市民会館が5年前に閉館した時の写真です。


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この案内板にある店舗も大分閉店しているようです。

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かつて質屋と映画館があった場所は、駐車場になっています。

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映画館と質屋があった面影は、まったくありません。

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ちなみに数年前、朝日館跡と質のニシカワがあった頃は、
こうなってました。

そこにあった建物が無くなると、
何があったのかは、あっという間に忘却の彼方に消え去ってしまうものです。


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案内板の近くにある電話ボックス。

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災害などに備えて、一定数の公衆電話を設置してるそうですが、
最後に公衆電話から電話をしたのはいつの事だっただろう?

テレホンカードなんかまだ存在しているのか?

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札幌ラーメンで有名な、東洋軒です。
営業はしているようですが、どうもランチタイムだけのようです。

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ここは、なんかしゃれた感じのショップというか、
何かの工房のようです。

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古銭のアオナスは、普通に営業しています。

お客さんが頻繁に来るような店では無いですが、
長年存続しています。

どんな商売をしているのか?

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その先の路地に入ってみます。


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角には、狭い敷地にぴったりハマったような新築の家が売りに出されています。

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この駐車場にも、かつては4階建て?のアパートがあって、
1階には、店舗が入っていました。

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その向かい側の路地には、こんな昭和の雰囲気が残っています。

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元の路地を奥に進みます。

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喫茶ルパンは、営業しています。
おそらく昔からの固定客がほとんではないかと思われます。

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その先は、古い建物はほぼ無くなっていて、
ホテル山水荘があった場所は、住宅地となっています。

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この辺りも古い建物が建っていたと思いますが、
現在は、広い駐車場になっています。

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今歩いてきた路地を振り返ると、こんな光景です。

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新道商店街に戻ってきました。


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大橋うなぎ店のメニューです。

うな玉丼が550円と安いですね。

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その隣の花屋さんも営業しています。

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向かいのRショップは、一応開いていますが、
ほとんどコンビニの末期のような状況です。

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この豆店は、閉店しているようです。

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歩いてきた通りを振り返ると、
こんな感じで多くの店舗のシャッターが閉まっています。

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デジカメの普及で、写真のDPEショップは、無くなってしまいましたが、
写真館は存続しているところが多いようです。

やはりプロの写真撮影技術は、
デジタルになっても生かせるという事ですね。

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そこから西側へ延びる通りです。
ご覧のようにシャッターが下りている店舗が多いです。

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こんな小さな美容室は、地域に根付いているようで、
営業しているところが多いようです。

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新道ストアーという個人経営のスーパーがあったところです。
閉店して10年近くになるでしょうか。

かつてはよく見かけた、
個人経営のスーパーもほとんど絶滅してしまいました。

この建物も撤去される日は、そんなに遠くないのかもしれません。

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撤去されたと言えば、

ここには、100年近く続いたという文房具店がありましたが、
数年前に閉店して、駐車場になりました。

学校の側には必ずあった、文房具店もほとんど見なくなりましたね。

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その向かい側にある自転車屋です。

佐賀市は、全国でも自転車屋が多いことで知られて?いましたが、
個人の自転車屋も大分少なくなってしまいました。

個人経営の自転車屋の経営者は、どこも高齢になられていますね。

今度来るときには、この自転車屋は存在しているのか?

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その先を見ると、所々歯が抜けるように建物が無くなっています。

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街の電気屋も技術があり地域に根差しているから、
大型量販店や通販があっても生き残れるのかもしれません。

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10年くらい前までは、弁当屋やたこ焼き屋などそれなりに営業していましたが、
ほとんど閉店しています。

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この辺りにも店舗が並んでいたはずですが、
ご覧のように駐車場と化しています。


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ここにも店舗があったハズですが、通路となっています。

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その先は、昭和30年代くらいから建っていると思われる店舗が連なっています。
昭和の光景として残しておきたい気はしますが、
そうはいかないでしょうね。

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このたこ焼き屋から数店舗は、閉店してから何年も経っているようです。

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振り返るとこんな感じです。

昭和30年代~40年代頃の年末の夕方は、
どれほど賑わっていたのだろうか。

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この”とり一”というから揚げ屋は名物店らしく、
予約客が時折訪れていました。


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この衣料店も商店街でずっと続いている店舗の一つです。

介護用衣料や通販などに活路を見出して、
上手くやっているのでしょうか。

ここが、新道商店街の東の端となっています。

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そして水ケ江の商店街を、片田江の交差点方向に歩いていると・・・


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空き地になっている場所に気が付きました。
ここは確か、古本屋があった場所です。

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建物は撤去されていて、更地となっていました。

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これは3年ほど前に撮影した写真です。
この時には、完全に閉店していました。

nishimuraonkodo2007

2008年頃撮影した、西村温故堂書店です。

最後に営業していた時期が、この頃です。

感じの良い優しそうなおばあさんと、
息子さんらしき人が店番をしていましたが、

徐々に開いている日が少なくなり、
やがてひっそりと閉店してしまったようです。

ここに古本屋があったことなど、
ほとんどの人は、忘却の彼方に消え去ってしまっているのかもしれません。

その後あのおばあさんと息子さん?は、どうなってしまったのか?

もう思い出の中だけの存在となってしましました。




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