佐賀県には、見応えのある山城がいくつかあります。
その中でも5本の指に入る山城の一つが、
勝尾城(かつのおじょう)です。
中世の山城の全貌が垣間見れるという、全国でも屈指の山城跡として、
国指定史跡となっています。
場所は、鳥栖駅から8キロほどの山間部に位置しています。
佐賀市からだと、鳥栖プレミアムアウトレットの1キロくらい手前から左折して、
山の方に向かって10分くらい走ると、広い駐車場があります。
ここが駐車場です。
どこかのグラウンドかと思うほど広い駐車場です。
実は、ここから1キロちょっと登った所にも駐車場がありますが、
せっかくなのでここに車を停めて散策がてらに歩く事にします。
駐車場の側に設置されている説明板。
かなり広いエリアに遺構が残されている事が、わかります。
勝尾城の周囲にはいくつも支城があり、城下には2.5km×2kmもの規模の、
城下町が広がっていたとあります。
この事からも、筑紫氏の勢力の大きさが窺い知れます。
説明板にある遺跡の各所の写真を見ていると、
早く現物を見たい気持ちが昂ります。
駐車場から勝尾城の登山道入り口へと延びる道です。
ここを1キロちょっと歩きます。
途中にある小さな集落です。
日本の原風景を見る思いで、
何か心の安らぎのような物を感じてしまう、いい風景です。
こんな某番組にも出てきそうな、ポツンと離れた一軒家がありました。
代々ここで暮して来たのでしょうか。
登山道入り口にある駐車場に到着しました。
この駐車場も結構広いです。
左の階段を登ると、登山道入り口です。
トイレもあります。
想像よりもキレイでした。
これでもこの手のトイレにしては、まだマシな方です。
石段を登ると小さな神社があります。
このすぐ近くには、筑紫氏の館跡があり、
こんな説明板が設置されています。
左が勝尾城への登山道です。
登り始めると角がとがった石がゴロゴロしていて、
歩きにくいです。
この石は石垣の石の残骸なのでしょうか。
とにかく驚くほどの量が転がっています。
登山道は、思ったより険しくて所々にこんなロープが張ってあります。
30分くらい登って、大手曲輪までやってきました。
その周辺には、巨石がゴロゴロ転がっています。
こんな巨石を砕いて、石垣の石にしていたのでしょう。
この最後の急斜面を登れば、城の主郭(本丸)です。
主郭へ到着です。
登山道入り口から40分ほどかかりました。
かなり急な場所も多く、低山登山くらいの労力を要します。
主郭部とその周辺の図です。
これを見ると、かなり大規模な城郭だとわかります。
山の名は、城山となっています。
主郭には、このような石垣の跡が至る所に見られます。
主郭の南端には、物見岩と呼ばれる岩があります。
ちなみに標高は、498メートルです。
物見岩から見える景色は、絶景です。
なるほどここに城を構えるわけです。
晴れていれば、由布岳や雲仙普賢岳も見渡せます。
この時(12月半ば)の気温は、この温度計によると、
10度くらいですね。
一通り主郭を見学した後、下山しながら大手曲輪へ向かいます。
ここが大手曲輪です。
斜面を平坦に切り開いているのがわかります。
このような説明板があります。
周囲は、こんな石垣で固められていたようです。
端の方は、急斜面となっていて容易に攻め込めない作りとなっています。
付近には、一部加工された石が転がっています。
ここに建っていた建物の瓦の破片でしょうか。
この石垣の積み方から、戦国時代初期頃に積まれた石垣だと思われます。
入口まで降りたので、筑紫氏館跡を見学します。
説明板によると、南北100m、東西80mもの規模を誇ったようです。
一般庶民では、とても持てないような高級な陶磁器などが出土していますね。
こんなに立派な屋敷がここにあったとは、驚きです。
ここが館跡の虎口(入口)だったようです。
現在は痕跡らしいものは、ほとんど残っていないように見えます。
屋敷のエリアは、この奥までずっと続くほど広いです。
付近に転がっている石は、石垣に使われていた石なのかもしれません。
一部石垣が残っていました。
往時には、小規模の城並に石垣で囲まれていたのでしょう。
瓦の破片が、あちこちに落ちています。
屋敷に葺かれていた瓦だと思われます。
この屋敷は、島津氏との戦いで焼け落ちて灰燼に帰したそうです。
大変な労力と時間を掛けて建てられたであろう立派な屋敷も、
焼け落ちるのは一瞬・・。
戦国時代の厳しさ残酷さを思わずにはいられません。
駐車場まで戻った後、すぐ近くにある支城である葛籠城跡まで行ってみました。
駐車場から歩いて10分ほどです。
この辺りが、葛籠城跡です。
説明板も設置してあります。
城郭のエリアとしては、300m×150mほどあります。
ここが主郭です。
ちょっとした公園並の広さがあります。
主郭の周りには、空堀が掘られています。
これは、現在でもはっきりと確認できます。
ちょっと離れた所には、武家屋敷跡があります。
この辺りが武家屋敷跡らしいです。
今は木々が茂っていますが、当時は開けていて屋敷が並んでいたのでしょう。
少し離れた所には、城下町の跡があり発掘調査されているようです。
山城から屋敷跡、武家屋敷跡、城下町跡まで揃って残っているのは、
全国的にも稀らしく城跡としては最高クラスの史跡だと言えます。
ある程度山城の知識を持って、この史跡を巡ると見方がまた違ってくると思います。
超おすすめの山城です。