SAGA佐賀マニア~佐賀のマニアックな情報発掘

佐賀の歴史スポットや気になるお店、街歩きネタを発信しています。

タグ:昭和映画館

佐賀にあった映画館跡を訪ねるシリーズ。
今回は、多久市東多久の映画館跡を調査しました。
22
東多久駅付近には、3館の映画館が存在していたようです。
01
東多久駅の駅舎です。
東多久駅は唐津線の駅で、無人駅となっています。
02
一瞬、誰かかがベンチに座っていると思ったら銅像でした。

これは、志田林三郎という東多久出身の人物の銅像です。
現東京大学工学部の第一期生で、
主席卒業して日本初の工学博士になった人との事です。
21
明治21年の第一回電気学会で、
テレビや携帯電話を予見した演説を行ったというから、
驚くべき先見の明の持ち主だったようです。

こんな人物が佐賀にいたとは知りませんでした。
03
この時、長谷川町子生誕100周年記念として、
サザエさんぬり絵が展示されていました。
04
時刻表の右側に貼ってあるのが、そのサザエさんのぬり絵です。
なぜ長谷川町子生誕100周年なのか?

実は、東多久出身だったからです。
これも知りませんでした。
08
駅舎内には、こんな写真が展示されていました。
昭和23年の大盆綱引という行事の時の記念写真です。
戦後間もない頃ですが、町には活気があったであろう事が窺えます。
05
東多久駅のホームです。
06
このローカル感が魅力です。
07
駅前は、結構広い広場となっています。
ここをまっすぐ進むと、国道203号線の交差点です。

現在バイパスを通ることが多いので、
この旧道は、ほとんど通ることがありません。
かなり久しぶりにここにやってきました。
09
ここが国道203号線との交差点です。
この交差点付近に、多久別府映画劇場という映画館があったようです。
あの大きな建物は、かなり古いですが元映画館ではなさそうです。
10
交差点付近には、昭和からの古い建物が残ってはいますが、
映画館らしき建物は、確認できませんでした。

1973年以前閉館と、閉館から50年ほど経っているので、
すでに建物は無くなっているか建て替わっていると思われます。

それ以外にも2館あったという事なので、
痕跡を探してみます。




11
交差点の近くにあった、元バイク屋です。
バイク屋と言っても、こんな個人のバイク屋は、
だいたい自転車屋も兼ねていました。
外れた看板の文字が、物悲しさを誘います。
12
さっきの交差点を東に向かって歩きます。
13
この辺りは、昔の街道のような雰囲気が残っています。
14
大きなクリーニング店です。
かなり昔から営業していそうな老舗店でしょうか。

この近くに家族館と言う映画館があったようですが、
それらしき建物は確認できません。
15
近くにこんな空き地がありますが、
もしかしたらここに映画館があったのかもしれません。
16
1966年以前に閉館との事なので、すでに閉館から50数年経ち、
建物はもう残ってない可能性が高いと思われます。
17
さらにその近くにもう1館東多久東映があったようですが、
こちらもそれらしき建物は分かりませんでした。
18
こんな空き地が何か所がありますが、
映画館跡地かどうかは、わかりません。
東多久東映も1966年以前に閉館しているとの事です。
20
それにしても、駅前の交差点から東へ数百メートルまでの間に、
3館も映画館があったという事が驚きです。

現在この付近の商店は大半が閉まっていますが、
映画館が3館も存在していた、
60年前の町の雰囲気はどうだったのだろうと、
道路沿いを歩き回りながら想像するしかありませんでした。

映画館の跡地を巡るシリーズ。
今回は、鳥栖市の映画館跡を確認しに行ってきました。

鳥栖市には、鳥栖銀星映劇、第二銀映、鳥栖東映劇場の三館が、
存在していたようです。

意外と少ないですが、
隣の久留米市に多くの映画館があったみたいなので、
久留米まで観に行っていたのかもしれません。
01
鳥栖市も時代の変遷と共に大きく変貌していており、
駅前にはショッピングモール、フレスポや、
サガン鳥栖のスタジアムが出来たりしましたが、

長年鳥栖駅前のランドマーク的存在だった、
鳥栖ビルは取り壊されています。
02
鳥栖駅前の再開発は徐々に進んでいますが、
この鳥栖駅の駅舎は、開業当時の姿を留めています。

今となっては、この古い駅舎が貴重な歴史遺産となっています。

しかしそんな鳥栖駅前には、まだ再開発されていない場所があります。
03

この横丁から奥の地区です。
04
この通りは、ここだけ昭和で時間が止まっているかのような
錯覚を覚えるほどです。
この通りの奥に、鳥栖銀星映劇があったらしいです。
05
奥まで歩くと、この通りに交わります。
06
かなり寂れた通りです。
07
その通り沿いにあるこのビルが、鳥栖銀星映劇だったようです。
ビル名も銀映ビルとなっていました。
映画館は、1985年以前(1983~84?)に閉館しているとの事です。

現在飲食店が数店舗営業していました。
08
建物は、見た感じかなり老朽化が進んでいて、
そう長くないうちに取り壊されるかもしれません。
09
これがビル全体です。
そこそこ大きな映画館だったようです。

この通りを突き当りまで行った辺りに、
1966年以前に閉館した第二銀映があったみたいですが、
それらしき建物などはすでに無くなっていると思われ、
はっきりした位置はわかりませんでした。




次に、鳥栖東映劇場跡地に向かいます。
10
銀映ビルから歩いて数分の場所です。
14
この付近も昭和な雰囲気が残っています。

11
鳥栖東映劇場は、カトリック幼稚園の
北側40メートルほどのところにある建物ということなので、
12
この建物に間違いないと思われます。
16
建物の形も元映画館だった事を思わせます。
13
こちら側からみると、かなり古い建物だという事がわかります。
現在は、会社の事務所?として使われているかもしれません。

鳥栖東映劇場は、1973年以前に閉館しているそうです。

ここが映画館だったことを覚えている人も、
少なくなっているのではないでしょうか。

しかし鳥栖市にあった三館の内、
まだ二館の建物が残っていたのが驚きでした。

どちらも老朽化が進んでいるので、
そう長くは建っていないのかもしれません。

映画館跡地を調べることは、その市や町の歴史を辿るようで、
感慨深いものがあります。

引き続き県内の映画館跡の調査を進めてこうと思います。

巨大映画館の記憶
青木圭一郎
ワイズ出版
2021-11-25


今回は、川副町と大和町の映画館跡を訪ねてみました。
川副町には、犬井道と早津江に映画館があったようです。
SnapCrab_NoName_2022-4-19_16-20-18_No-00
まずは、川副町犬井道の映画館跡です。
inido02
どうやらこの金物店が有明東映だったのではないかと思われます。
inido01
建物の形状が、元映画館だった事を思わせます。
1964年頃閉館したとの事です。閉館後に別の店舗などになった所はっているようです。



次に早津江に移動します。
ここには早津江東映という映画館があったようです。
mietsu01
商店街はかなり寂れていて、ほとんどの店舗は閉店しています。

mietsu02
このスーパーは、閉店して何年経っているのか?
mietsu03
映画館は、この記念碑が建っている佐野常民生誕地の南側にあったようです。
mietsu04
てっきりこの場所かと思っていたら勘違いでした。

消えた映画館の記憶の管理人のロバさんのブログ

振り返ればロバがいる

によると、

現在三重津海軍所跡の公園になっている場所が、
当時住宅街になっていて、その一角に1964年までは、
存在していたようです。


次は、佐賀市大和町にあった映画館跡です。
SnapCrab_NoName_2022-4-19_16-44-0_No-00
大和町には、大和館春日東映と言う映画館が存在していたようです。
どちらも1966年前後に閉館しているとの事です。

消えた映画館の記憶のマップ上では、完全に特定されてなくて、
尼寺のどこかという事でクエスチョンマークになっていますが、
おそらくここだろうと思われる場所があります。
yamato03
まずは大和館ですが、ハルツというケーキ屋さんの隣です。
yamato01
この建物です。
長い間家具屋の倉庫として使われていたようですが、
一見してかつて映画館だっただろうと思わせるような建物です。

yamato02
現在は、倉庫としても使われていない雰囲気ですが、
実際どうだったんでしょうか。

yamato05
もう一館の春日東映は、
春日小学校の西側にあった事を聞いた事があります。

現在建物は残ってなくて、児童館の駐車場となっています。

映画館は1965年頃まで営業していて、
一部畳が敷いてあったらしいです。

雨の日になると、農家の人たちが畳で寝そべって映画を観ながらくつろいでいた、
というエピソードがあります。

それにしても1966年前後に閉館した小さな映画館が非常に多いようですが、
映画全盛期を過ぎて数年、完全にテレビの時代になり観客数が激減して、
営業出来なくなってきた頃だったのかもしれません。

藤森照信のクラシック映画館
藤森 照信
青幻舎
2019-09-30


以前紹介した佐賀の昔の映画館を紹介しているフリーペーパーSAMOMAや、
samoa

映画館データーベースサイト”消えた映画館の記憶”で、
佐賀の映画館を調べていたら、
sagamovie

現在の跡地を調べて見たくなったので、
とりあえず佐賀市の映画館跡地に行ってみました。

果たして痕跡は残っているのか?

daiei01
まずは大映があった場所です。
1971年に大映は倒産しています。
現在第一生命ビルとなっています。

と思っていたら、新たな資料により、
第一生命ビルは当時から存在していて、
佐賀大映は、その左のビルだったことがわかりました。

第一生命ビル南側の新道商店街入り口には、
朝日館がありました。
asahi02
こんなに看板だらけだったとは信じられません。
asahi03
これは取り壊される直前の朝日館です。
1995年に閉館して、1階で飲食店と喫茶店が営業していました。
asahi04
その後2015年の12月に取り壊されています。
たまたま通りがかかった時に取り壊しが進んでいて、
物悲しくなったのを覚えています。
asahi01
隣にあった質屋も無くなり、現在駐車場となっています。
14
松原交番の交差点には、公開中の映画のポスターがずらりと並んでいました。
matsubarakoban01
いつまであったのでしょうか?
平成に入ってからもあったのか?

次に松原神社の参道になっている、
新馬場通を見てみます。

ここには平和劇場がありました。
matubara01
この麻雀屋の建物は、なんとなく映画館だったところにも見えますが、
どうなんでしょうか?
matubara02
その向かい側の建物が、平和劇場だったと思います。


matubara04
建物は現存していますが老朽化が進んでいるように見えます。
matubara05
映画館は、1989年に閉館となっているそうです。
現在飲食店が入っていて、
奥は、有料駐車場になっています。

この辺りの古い建物は、取り壊しが進んでいるので、
ここも近い将来取り壊されるのかもしれません。
grand01
新馬場通の入り口の東側には、佐賀グランド劇場がありました。
庄屋の隣でレンガの塀の向こうのアパートの場所です。
1990年9月24日に閉館したとの事です。

ここで3本立ての映画を観て、1日過ごしていた事を思い出します。





次は、有楽があった場所です。
yuraku03
昭和35年の有楽です。飾り付けがスゴイですね。
yuraku04
昭和38でもまだ道を跨いだ看板が掲げてあります。
こんな飾りつけはいつまで続いていたのでしょうか?
yuraku01
1985年にセントラル会館となり、
2006年8月に閉館となりました。
toei02
有楽の隣にあった東映です。
東映まんがまつりに連れて行ってもらっていた事を思い出します。
toei01
現在はマンションになっています。
toho02
昭和32年の東宝です。佐賀にも映画の看板職人?が何人もいたのでしょうか。

toho01
現在は、駐車場になっています。
shochiku02
昭和30年の松竹です。奥に見える東宝もそうですが、
映画館の建物が独特で味わいがあります。
shochiku01
現在は、セントラルプラザとなり2007年に開館した、
シエマが入っています。
nikkatu03
昭和35年の日活です。
後に成人映画専門となり2000年頃まで営業していました。
nikkatu02
現在は、セントラルパレスという飲食店が入ったビルになっています。




次に愛敬町に移動します。
aikei01

愛敬町にも佐賀大洋映画劇場という映画館が存在していたようです。
1973年頃閉館して、現在は駐車場となっています。
muraoka01
唐人町の村岡総本舗がある場所は、
佐賀昭和東映劇場という映画館が、1966年頃まで存在していたようです
muraoka03
ここに映画館があったのかと思うと、
なんとなく映画館の建物のようにも見えてきます。
meigaza01
佐賀駅の南の通りにある、
キャリアサプライの左のビルの場所には、
佐賀駅前映画劇場/佐賀名画座という映画館が、
1970年前後まで存在していたらしいです。
ちなみにキャリアサプライは、かつてラジコン屋でした。
walakusa01
国道263号線との角には、若草不動産ビルがあります。
ここは、若草映劇という映画館だったとの事です。
ここも1970年ごろまで存在していたようです。

一通り見て回って、
かつて佐賀市内に多くの映画館が存在していたという痕跡は、
ほぼ消えている事が確認できました。

昭和30年代の賑わいを覚えている人も、
もう少ないのかもしれません。

佐賀県内の他の地区の映画館跡地も、

巨大映画館の記憶
青木圭一郎
ワイズ出版
2021-11-25

日本懐かし映画館大全
大屋 尚浩
辰巳出版
2021-06-01

にほんブログ村 地域生活(街) 九州ブログ 佐賀県情報へ
にほんブログ村

今や映画館と言えば、シネコンがほぼすべてとなっていますが、

私が、映画館に通い出した1970年代終わりから80年代には、
佐賀市内に、以下の映画館が営業していました。


有楽、有楽オスカー、東映、松竹、東宝、平和劇場、グランド劇場、朝日館、にっかつ


最盛期には、いったいどれくらいの映画館が営業しているのか気になっていたら、
こんなフリーペーパーを見つけました。


01

佐賀県興行生活衛生同業組合という団体が、発行した物です。

02

ページをめくると、70年代前半から80年代初め頃まで、
映画館でバイトをしていたという、大歯雄司氏による佐賀の映画館の歴史が、
語られています。

この大歯氏は、現在古湯映画祭の実行委員長をされていますが、
バイト時代は、「パス券」という映画を無料で観れる券を持っていたので、
映画を観まくっていたそうですが、ウラヤマシイですね。

おかげで、2浪して入った佐賀大学を7年通って中退されたそうです(笑)








貴重な写真も載っています。


03



昭和32年東宝と昭和35年の日活の様子ですが、
看板や飾りが大掛かりでスゴイです。


04

昭和35年の東映は、松原川沿いですね。

新道商店街の入り口にあった朝日館も、
最盛期には、これほどの飾り付けがあったとは驚きです。
カラーで見て見たい光景です。

05

これは、松原神社の角にある交番の前にあった映画ポスター看板です。
80年代の初めまでは、このポスター看板は、あったと思います。

06

そして、佐賀市内をはじめ各市町村に映画館があった時代がありました。

最盛期の1960年(昭和35年)には、90館もの映画館が、
佐賀県内にあったようです。

07

東松浦郡に、10館もあります。
意外と少ないのが、鳥栖市の3館です。

08

とにかくどこの町にも映画館があったようです。

そう言えば、以前大和町にあった春日映劇の様子を聞いた事が、
ありますが、畳が敷いてあって,雨の日には農家の人たちが、
畳に寝転がりながら映画を観ていたとか。

今では考えられないですが、
いかにも田舎の映画館というのどかな様子が目に浮かびます。












↑このページのトップヘ