全国的にも珍しいという、佐賀城の石垣を切り出した遺構
【川上石丁場跡】を確認してきました。
場所は、この淀姫神社からほど近い場所で、
勧進橋(官人橋)を渡り龍登園の前を左に曲がってすぐのところに、
文殊院の入り口である石段が見えます。
ここが、川上石丁場への入り口でもあります。
コンクリートの道の先が山道になっていますが、
ここをどんどん登って行きます。
かなり急な登りなので、息が切れるほどです。
しばらく登ると、大きな石が見えてきます。
この辺りが石丁場です。
ここには、こんな案内板が設置されています。
これによると、石切場の遺構が完全な形で残っているのは、
全国的にも珍しいという事です。
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辺り一面に転がっている石は、
すべて400年以上前に切りだされた大石の破片だと思われます。
この大きな石には、楔の跡が見られます。
このように大きくて深く、割る直前まで打ち込まれていますが、
途中で割るのをやめたようです。
いったいどんな理由があったのでしょうか。
この石も人工的な加工がなされています。
登山道沿いには、割と大きめの石がゴロゴロ転がっています。
この石にも楔の跡が見られます。
石丁場の案内板からしばらく登ると、文殊院の上宮にたどりつきます。
はっきり言って、ここまで登るのはかなりキツイです。
とにかく勾配が急で、運動をしていない人にとっては、
相当息が切れて、心臓バクバクになると思います。
この上宮は、落書き堂として有名?です。
合格祈願の聖地として知る人ぞ知る神社です。
このように数十年に渡って書かれた合格祈願で、外も中も埋め尽くされています。
石切場もここまでで、この先は巨石パークへと続く山道となっています。
切り出した石は、船で嘉瀬川を下って佐賀城下まで運んだらしいです。
しかしあの急な坂を、大きくて重い城の石垣用の石を人力で運ぶのは、
どれほどの労力が必要だったのか?
想像しただけでも大変そうです。
現場にいると、常時何百人?もの工夫が何年にも渡って石切りの作業をしていた様子が、
目に浮かび、城を建てるのがいかに大変な事だったのかを思い知ることができました。
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