SAGA佐賀マニア~佐賀のマニアックな情報発掘

佐賀の歴史スポットや気になるお店、街歩きネタを発信しています。

タグ:長崎街道

佐賀県各地の映画館跡を訪ねながら、
街歩きをするシリーズ、

今回は、江北駅から長崎街道を歩いて、
小田宿の街並みを散策しました。
01
肥前山口駅から駅名が変わって、
江北駅となりました。
02
西九州新幹線が開業するまで、
JR最長片道切符のゴールの駅として、
鉄オタの間で知られていた駅です。
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駅の隣にはオシャレな店舗が軒を連ねています。
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向かい側には、閉店した昭和の店舗が目につきます。
06
駅前は、典型的なローカル駅前の雰囲気です。
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この通りは、街道の雰囲気を残しています。
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なかなかいい雰囲気の廃店舗です。
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右は閉まっていますが、左はまだ営業しているようです。
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長崎街道を歩いて、小田宿へ向かいます。
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こんな真っすぐな道を2キロほど歩きます。
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小田宿入り口の小田ショッピングセンター。
閉店して数年は経っているようです。
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その向かいにある店舗も何年も前に閉店しているようです。
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この先がメインストリートです。

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小田宿の案内図がありました。
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先ほどの江北駅(肥前山口駅)との位置関係です。
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昭和45年に閉山された杵島炭鉱時代には、
かなりの賑わいを見せていたようです。
映画館もあったと書いてあります。

しかし残念ながら場所までは、書いてありません。

ここには以下のような映画館があったようです。

大和館

佐賀県杵島郡江北町(1953年・1955年)、
佐賀県杵島郡江北町上小田2247(1958年)、
佐賀県杵島郡江北町上小田(1960年・1963年・1964年)
開館年 : 1950年以後1953年以前
閉館年 : 1964年頃
杵島東映
所在地 : 佐賀県杵島郡江北町上小田(1960年・1963年)、
佐賀県杵島郡江北町(1965年)
開館年 : 1959年7月11日
閉館年 : 1965年頃

1959年7月11日、杵島郡江北町上小田に「杵島東映」が開館した。
木造一部鉄筋造平屋建て。建坪560平方メートル。定員700人。
東映と大映の二番館。

消えた映画館の記憶より
https://hekikaicinema.memo.wiki/

いづれも1965年までに閉館しています。
1965年前後に閉館している映画館は本当に多いですね。
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ここが中心街です。
しかしシャッターが降りている店舗が目につきます。
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元薬屋
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元肉屋
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元雑貨屋
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元食料品店
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とにかく閉店している店舗が多いです。
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炭鉱があった頃には多くの人で賑わっていたのでしょうか。
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長崎街道の道標がありました。
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放置された車が縦に並んでいます。
かなりの車好きの人だったようです。

映画館の名残があるかどうか、
街中を一通り歩いてみました。
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この建物などは映画館のような雰囲気があります。

700人規模の映画館だと、
もしかしたらあのスーパーの場所だったのか?
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閉館して60年近く経とうとしている現在、
建物が残っている事を期待するのも無理がありますが、

建物が無くなっていても、
当時の様子を想像しながら歩いていると、

寂れてはいても街の歴史を肌で感じる事が出来るのが、
街歩きの魅力です。

●追記(12月14日)

コメントを頂いた方からの情報により、
杵島東映の場所が判明しました。
SnapCrab_NoName_2023-12-14_10-6-6_No-00
この農業用倉庫のような大きな建物が、
杵島東映跡でした。
SnapCrab_NoName_2023-12-14_10-12-22_No-00
場所は、小田宿の中心からやや外れた所で、
長崎街道が旧道とバイパスに分かれている分岐点のちょっと先です。

今はもう解体されて存在していませんが、
グーグルマップには、まだ建物が写っていました。

ほんの数年前まで存在していたようです。
さらにこの江北町のあゆみを紹介した動画の、
3:33秒辺りに、杵島東映の姿が写っています。
Screenshot 2023-12-14 at 00-13-08 江北町のあゆみ ~町制60周年記念~
https://www.youtube.com/watch?v=VJnsXFWprEQ
これがその姿です。

これは映画館として建てられたと言うより、
農業用倉庫を改造して映画館にしたものに見えますが、
どうなのでしょうか。

いずれにしても、貴重な写真です。
発見していただきありがとうございました。


佐賀の映画館跡を巡るシリーズ、
今回は武雄の映画館跡に行ってきました。

武雄には、

武雄日活銀映劇場・武雄大洋・富士館・武雄東映
(いずれも最後の名称)
の4館の映画館があったようです。
01
武雄温泉駅は、
ご存じのように9月より西九州新幹線が開通したので、
ついでに新幹線ホームまで入場券で入って、
どんなものか見てみる事にします。
02
ちょうど新幹線が停車していました。
手前には、ホームドアがあります。

さすが新幹線だけに、
車内も先進的な造りになっています。
03
この後発車していきましたが、
やっぱり実物を見ると、ちょっと乗ってみたくなります。
これが佐賀駅経由で新鳥栖まで繋がる日が来るのでしょうか。
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しかし武雄駅とその周辺は、
再開発が進んで以前の面影がまったくありません。
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道路が拡張されて、多くの店舗が無くなっているようです。
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このファミリーマートは、景観を意識した?建物になっています。
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昔から続いていそうな店舗も残ってはいます。
甘党の店三喜堂
おはぎ、ふみ餅、回転焼です。

こんなのが割と好きなのでちょっと気になりました。

武雄日活銀映劇場はこの近くにあったようです。
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この建物付近にある駐車場のようです。
09
おそらくここではないかと思われます。
全く痕跡は残っていません。

武雄日活銀映劇場は、
1970年以後1973年以前に閉館しているとの事です。
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その先のヤマハ音楽教室の隣のビルが、
武雄大洋だったと思われる場所です。
11
現在は、雑居ビルになっています。
武雄大洋は、1995年以後1998年以前に閉館と、
比較的最近まで存在していたようです。
と言っても、閉館して25年ほど経ってはいますが。
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次に残りの2館の跡地へ向かいます。
ここからすぐ近くにあるはずです。
14
この通り沿いにある旅館の側の駐車場らしいです。
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途中に小さな神社があったので、
何気に立ち寄って見ると、
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神社の由来の説明の右側に、
懐かしの武雄のまちなみという地図が載っています。
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なんと昭和39年の地図です。
という事は映画館も存在していた頃なので、
確認してみました。
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武雄日活(1)
すると、ちゃんと載ってました。
武雄日活と武雄大洋です。

武雄日活の隣は、今も営業している”橋口米屋”があります。
武雄大洋の隣は、佐賀銀行があったようです。
富士館
こちらには、これから訪ねる富士館と武雄東映が載っています。
何気に立ち寄った小さな神社で、
思いがけなく場所が判明する事になりました。
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場所が分かったところで、確認に向かいます。
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この京都屋の駐車場が、富士館があった場所です。
痕跡はまったくありません。
富士館は、例によって1966年以前に閉館となっています。
23
その隣にあるコンクリートの建物は、
かなり古そうです。
ここが地図にある歯科医院だったのでしょうか。
24
その隣の駐車場が、武雄東映跡です。
25
かなり広い駐車場ですが、
映画館はどれくらいの大きさっだのか?
武雄東映は1969年以前に閉館となっているようです。
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駐車場の向かいの家は、
映画館があった頃から存在していたことでしょう。
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この辺りは、旧長崎街道のルートとなっていたようなので、
ちょっと散策してみます。

鍵型道路と言って、わざと曲がり角を作っています。
佐賀宿の鋸型と同じく攻め手の勢いを削ぐ目的のようです。
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この辺は、なんとなく往時の面影が残っているようです。
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しかし閉店している店舗も多く見られます。
ここは何の店舗だったのか?
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ここも大分前に閉店しているようです。
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ここも閉店している商店かと思ったら、
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板金屋だったようです。
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ここは色が落ちて、アートのようになっています。
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歓楽街へ出てきました。
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いわゆる風俗店の看板がいくつか見られます。
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武雄で一番有名な楼門です。
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ここには温泉もあり、観光客がかなり多く訪れていました。
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所々に長崎街道の説明板が設置してありました。
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宮本武蔵が使ったと言う井戸があるようです。
41
この辺りは、景観を意識した通りになっています。
43
ここはイベントなどをやるための広場でしょうか。
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明治期のポストを模したレトロポストです。
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この辺りも街道の雰囲気が残っています。
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曲がり角に説明板がありました。
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ここも鍵型道路でした。
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その先には、昭和の家屋が割と残っているようです。
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更にその先に進むと、
再開発された地区の広い道路と繋がっていました。

楼門付近は、
思ったより観光客が多く賑わいを見せていましたが、

そこを離れると、
ちょっと寂しい雰囲気なのは否めませんでした。

それでも駅とその周辺の激変ぶりには驚きました。
やはり新幹線が来ると、
急速に街は変わって来るのかもしれません。



神崎宿から東へ向かったところに、
長崎街道唯一という一里塚が残っているというので、
確認してきました。

ついでに櫛田宮から一里塚まで歩きながら、
街道の様子も見ていきます。
18
市街地を離れると、古い家屋がポツポツと残っています。
19
景観の整備などは全く行われていないですが、
なんとなく街道の雰囲気が残っています。
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先に進んでいくと、こんなレンガの壁がありました。
21
この奥にあった建物は無くなっています。
一体どんな建物があったのか?
22
レンガの壁の隣には、こんな古い建物が残っています。
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この辺りも、街道らしい風景です。
24
ここは何かの商店だったのだろうか?
25
左側は閉店していますが、右側は今もやっている判店でした。

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いかにも昔からここで営業していそうな、菓子店です。
口コミによると、手ごろな価格の和菓子を多品目売っているようです。

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しかし歩いていると、主要な道路の役目を終え、
”取り残された雰囲気”が漂っているのを、
ひしひしと感じてしまいます。

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橋の上には、JRC(日本無線)の
監視装置らしきものが取り付けられています。
おそらく水位を監視していると思われます。

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三本松橋の三本松とは、
このすぐ近くにある一里塚の松?なのでしょうか。
33
自動車整備工場かと思ったら、フィットネスジムでした。
最近ジムがあちこちに出来ていますね。
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左側に一里塚が見えてきました。
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ここが「ひのはしら一里塚」です。
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江戸時代初期に徳川家康の命により、
街道の一里毎に設置されたとの事で、
長崎街道に残っているのは、ここだけらしいです。

37
高さ4メートルほどの小山で、
周りは石垣なっている堅固な作りです。
38
階段で上に上ると、佐賀県遺産の認定証があり、
ここに”ひのはしら”の由来が書いてありました。

それによると、櫛田宮の緋色(赤色)の鳥居が立っていた事から、
”ひのはしら”と呼ばれるようになったとの事です。
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隣の祠から、仏像が見守っています。
40
なかなか見晴らしはいいです。

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あらためて塚の周りを見てみます。
まるで城の石垣のようです。

しかしよく見ると、石の積み方に違いがあります。
43
これは江戸時代初期の”切り込みハギ”と言う、
石の形を揃えて積み上げる手法のようですが、
この部分は、乱雑に積む”乱積み”で、
42a
ここはキレイに並べる”布積み”となっています。

なぜ途中で積み方を変えてあるのか?
積んだ担当者(地区)が変わったのか?
それとも何か強度的な問題が生じて変えたのか?

気になります。
44
ここにはバス停と、見学者用のクルマ数台分の駐車場もあります。
45
ここから先は、田んぼが広がっています。
江戸時代から変わらない光景かもしれません。

ひのはしら一里塚、地味ながら見所のある史跡でした。

映画館跡を巡りながら街中を散策するシリーズ。
今回は神崎市の映画館跡を訪ねてきました。
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神崎市には、神埼新世界映劇、神崎映画劇場、曙座の3館があったようです。

01
神崎市の中心街は、江戸時代長崎街道の宿場町となっていて、
至る所に歴史的な街並みが残されています。
03
櫛田神社の駐車場にある案内板には、
街道沿いに残る歴史的建物や施設などが紹介されています。
04
櫛田神社の境内です。
05
このような立派な社殿が建っています。
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南側にはかなり古そうな門が構えています。
その門の左側を見ると、なにやら街の案内のようなものが、
貼ってあることに気が付きました。
07
昔の神崎の街中にあった施設などの写真でしたが・・・
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その中に、なんと神崎映画劇場の写真を見つけました。
昭和25年4月の落成時に撮られた記念写真のようです。

立派な建物の前に20数人が写っているようですが、
映画館のスタッフと町の有力者でしょうか。

戦後5年、これから映画が最大の娯楽となり、
全盛期を迎える前夜にオープンして、

昭和40年代まで営業していたようですが、
後にスーパーなどになったらしいです。

それにしても開館当時の記念写真は、
貴重ではないかと思われます。
10
その神崎映画劇場があった場所を確認します。
11
ここは旧長崎街道なので、
このような歴史的外観の商店も多数見られます。
12
しかしこのようなシャッターが降りた店舗も多いです。
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ここも元何かの店舗のようですが、
閉店して何年も経っている雰囲気です。

神崎映画劇場は、この付近にありました。
14
この佐賀信用組合の看板の向かい側だったようです。
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この駐車場の場所に、神崎映画劇場があったそうです。
09
多くの映画館が閉館した時期である、
1966年以前に閉館となっているので、
15~6年ほどしか存在していなかった事になります。

昭和30年代半ばに映画全盛期となり、
その直後からテレビが急激に普及しだして、
それこそあっという間に役目を終了したという事でしょうか。

その後の”スーパーなどになりましたが”も気になる所です。
個人スーパーの時代も終わり、
最後は何の店舗だったのでしょうか。

16
すぐ側にはこんな川というか水路があります。
下に降りる古い石段があるところから、

この前紹介した長崎街道佐賀宿の荷揚げ場遺構と同じように、
かつては小舟が行き来して荷を運んでいたのでしょうか。

実は、あの石段の辺りにカワセミがいたので、
慌てて写真を撮ろうと思ったら、
あっという間に飛んで行ってしまいました。
17
ここにも古い外観の商店がありました。
旧街道の雰囲気は残されているものの、
佐賀宿と同じく今一つの感があるのは否めません。
18
珍しい丸ポストです。
かなり色あせていたのでもう使われていないのかと思ったら・・
19
集荷時間が書いてあり現役でした。
20
もう一館の映画館があった場所へ向かいます。
21
途中にあった個人営業の本屋です。
個人営業の本屋もめったに見なくなりました。

ここはどれくらいお客さんが来ているのだろうか?
などとつい考えてしまいます。
22
このラーメン屋は、どうやら人気店みたいです。
ただ昭和からやっているような店は、
老夫婦でやっている事が多く、
後継者問題などが悩ましいところです。
23
その近くの昭和な衣料品店は、閉店しています。
24
その向かい側の同じく昭和なクリーニング屋もだいぶ前に、
閉店しているようです。
25
映画館があった通りに出てきました。
26
一瞬ここが元映画館なのかと思いましたが、
違うようです。
衣料品店ですが、それにしても昭和の映画館のような外観です。
28
この黄色い建物は、たこ焼き屋ですが、
頻繁に車が止まってたこ焼きを買っていくので、
名物たこ焼き屋のようです。
29
タミヤの星のマークが目立つ、
プラモや!という分かりやすい屋号の模型店です。

ここもファンが多そうな雰囲気が漂っています。

さっきのラーメン屋もそうですが、
ローカルな場所にあっても、ファンを掴んでいれば、
長く続けていけるという事ですね。
30
映画館は、その先の高齢者施設の場所だったようです。
31
ここに神埼新世界映劇があったという事ですが、
全く痕跡も残っていません。
1953年2に月開館して1973年以前に閉館しているようです。
32
すぐ先には、国道34号線の交差点がありますが、

33
その手前にこんな古びた建物が残っていました。
おそらく映画館があった頃から存在している建物ではないかと思います。

店舗はすべて閉店しています。
右側に見える昭和な自転車が、
長い事放置されていて、朽ちてきていました。

今度来た時には撤去されているかもしれません。
神埼新世界映劇の並びにもこんな建物が建っていたのでしょうか。
34
国道34号線との交差点です。
この先には神崎駅があります。
35
この小さな書店は、シャッターが降りています。
これくらいの小さな個人書店は、ほぼ絶滅していますね。
36
その並びの、古い建物もシャッターが降りています。
元小さな個人商店だったようです。
37
このような三角形の狭い隙間に建っているのが時代を感じさせます。
39
設置されている自販機もそのまま放置されているようですが、
業者が回収しに来ないのでしょうか。
40
そして櫛田宮へと戻ってきました。

さらにもう一館の曙座があったと思われる場所へ行ってみます。
41
先ほどの南側の鳥居です。
さっきは東へ向かいましたが、
ここから南へ向かった所に曙座があったようです。

曙座は、1940年前後に開館して、
(戦時中の為か)一旦閉館して1954年9月に開館しているようです。
そして例によって、1965年頃閉館となっています。

曙座の場所は、はっきりとはわかりませんが、
この通り沿いだったようです。
42
このように歴史的な建物も残っています。
43
これは古賀銀行神崎支店の建物です。
佐賀市の柳町には、本店の建物があります。
44
かなり立派な建物で、隣には蔵まで建っています。
45
そのすぐ先は、最近公園として整備されています。
46
このような広い芝生の広場となっています。

もしかしたら曙座は、ここにあったのかもしれません。
47
何か痕跡でも残ってないか確認するため、
先の方へ行ってみます。

48
このような昭和な店舗が結構残っています。
営業している所とシャッターが降りている所と半々くらいです。
49
ここは空き地となっています。
もしかしたらここだったのかもしれません。
50
映画館らしき建物は見当たりませんが、
せっかくなので神崎宿の端まで行ってみる事にします。
51
ここにも丸ポストがありました。
このポストは、キレイに塗装されています。
52
神幸館(かみさちかん)というかなり古そうな建物の脇にポストがあります。
ちなみにここは地域活性化の拠点のようです。
54
その先にもこんな空き地がありました。
ここにも店舗が並んでいたと思われます。
もしかしたら映画館もあったのかも知れません。




55
どうやら映画館の痕跡は残ってないようですが、
先に進みます。
56
ここから先は、道路が石畳風に整備されていて、
街道の雰囲気が漂っています。
57
元老舗薬屋だった所には、江戸時代の薬や道具が展示されています。
58
ここは名物神崎そうめんの老舗でしょうか。

59
この辺りは、シャッターが下りた店舗が目立ちます。
60
元自転車屋です。
61
ここは白壁の古い家屋ですが、何かの店舗だったようです。
62
またまた丸ポストです。
神崎宿内に3か所もありました。
63
このお寺は、脇本陣だったようです。
脇本陣は、大名クラスが泊まる場所で、
本陣が空いてない時にここを利用したとの事です。
64
逆光で見にくいですが、この通りの端が、
東の入り口となっています。
65
その東の入口から西を見たところです。
観光用のお土産屋があります。
66
江戸時代には、この様な木の門があったそうです。
67
説明板によると、午前6時に門が開いて、
午後10時に閉められていたとの事です。

神崎市の長崎街道沿いは、往時の面影が残っている箇所や、
歴史的街並みが整備されている所もありますが、
観光地としては中途半端な整備に留まっています。

またシャッターの降りた商店も多く見られ、
ローカル商店街の厳しい現状も垣間見られました。

映画館が3館もあった頃の商店街はどんな様子だったのか?
かなりの賑わいだったのでしょうか。




現在長崎街道佐賀宿東の入口が、
牛嶋構口公園として整備されていますが、
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そこから西の方へ200メートルほどの所の、
紺屋川に掛かる思案橋の横で船着き場跡が見つかり、
このほど公園化整備が完了しています。
02
奥に向かって東の入口(構口)となります。
01
このように案内板も備えた小さな公園となっています。


03
石垣や階段は、江戸時代の物とのことです。
当時はもっと水量が多かったらしくて、
ここから船で運ばれてきた物資が荷揚げされていたようです。
05
設置されている案内板には船着き場や街道の様子が、
非常に詳しく説明されています。
06
右が江戸時代、左が現代の地図です。
07
案内板によると、思案橋を渡ってすぐの所には、
江戸時代から「橋口屋」という、
名物うどん屋があったそうですが、
戦時中の昭和18年8月に物資不足で閉店となってます。

うどん屋もできないほど物資が窮乏するとは、
どんな状況なのか?
ちょっと想像できないです。
08
写真は昭和39年に撮影されているので、
その頃まで建物は、存在していたようです。

今SNSで広がるように、当時は旅人の口コミで、
佐賀宿に旨いうどんが食べられるうどん屋がある、
とか広まったのでしょうか。

おそらく写真が撮影された頃の長崎街道界隈は、
まだかなり江戸時代の景色が色濃く残っていたと思われます。
09
この蔦屋は、昭和39年時点でも蔦屋商店として営業していたようです。

女性が引くリヤカーには、花が積んであるように見えますが、
どうでしょうか。
もしかしたらかごの中には子供がいるのでは?

こんな風に子供を連れて行商している人が
いた話を聞いたことがあります。

リヤカーを引く光景というのも今では見られないので、
貴重な記録写真です。
10
これは発掘調査時の遺構の写真と遺構図です。
思案橋遺跡「荷揚げ場遺構」という名称になっています。
11
このように、はっきりと石垣と石段が残っています。
12
荷揚げ場のイメージ図です。
明治以降に3分の一ほど埋め立てられているようなので、
江戸時代には、今よりかなり川幅が広かった事がわかります。

13
現在の紺屋川を見ると、とても船が行き来できるようには思えませんが、
当時は川幅が広く、水量も多かったという事ですね。
14
この石段の側まで川幅があったようです。
15
石垣は、本当によく残っています。
16
ここからどんな物が荷揚げされていたのでしょうか。





19
規模は小さいながら、ほぼ完全な形で残っている貴重な遺構です。
20
この思案橋の付近には、遊郭があったらしいです。
21
そんな遊郭を彷彿とさせる建物が近くにありました。
かなり古そうな建物ですが、江戸時代からあったのかは不明です。
23
この牛嶋公民館の建物もかなり古そうです。
06
佐賀宿は本当に大きくて、
東の端から西の端まで長さ6キロくらいあり、
見学しながら歩くと3時間くらいかかるほどです。
(丹念に見学すると4時間以上とかかかる)

この地図の範囲、東の入口構口から旧古賀銀行まででも、
江戸時代の街並みを再現できれば、
歴史的街並みとしての遺産となり、
かなりの観光名所にもなりそうだとは思いますが、
もう今からでは無理でしょうか。

むしろこれから取り組むことかもしれません。

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